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悠山亭日記 その4(邑智病院だより51号から転載)

「わが心の北アルプス」の巻

人生には、北アルプスを知って終わる人生それを知らぬままに終わる人生とがあり、両者の間には月とすっぽん程の違いがある、と思うようになって久しい。

もう何十年も前から、年に一度、1週間ほどを北アルプスの山中で過ごすのが楽しみで、そのため日々のウオーキングを怠らず、週末には近場での山登りに励んできた。

そこへコロナのパンデミックである。昨年5月には5類感染症に格下げされたが、それまでの間、北アルプスはおろか、九州や四国の山々へ出かけることもはばかられ、三瓶ばかり登っていた。息の詰まるような3年半であった。一度きりの人生で、しかもこの年齢での3年半もの空費は残念の極みという他はない。「返してくれーっ!」と叫びたくもなる。

だが、パンデミックはこれで終わったわけではない。この度のコロナ騒動の発端はコウモリ由来だかウイルス研究所からの漏出だかは知らないが、それが全地球規模の大流行に拡大した要因は偏にグローバル化にあることは間違いない。今や、人、モノ、金、情報、そしてウイルスまでもが国境を無視して瞬時に世界中を飛び交う。この時代状況こそがパンデミックの要因なのだ。猛進を続けるグローバル化が止まらぬ限り、新たな病原体によるパンデミックは今後も繰り返されるであろう。

さて、私はほぼ毎年北アルプスを訪れていたが、コロナ禍に見舞われてからというもの遠出はままならず、ほぼ県内に引きこもって過ごした。その間に後期高齢者ともなり、加えて令和4年の夏には食道がんの手術を受けた。外科分野では最も侵襲の大きい部類の手術だから、術後は北アルプスはおろか、近場での登山も無理だろう、命が助かれば儲けもんだと覚悟を決めていた。しかし医学の進歩は大したもので、私の暗い予想とは大きく異なり、退院して1か月後にはウオーキングを再開、3km5kmと次第に距離をのばし、半年後には10km歩行を日課にできるまでに回復した。同じく半年後から近場の登山も再開した。

そのころから「北アルプスへ行こう!」と強く誘ってくれる友人があって、コロナの5類感染症への移行を契機に、トレーニングを兼ねて三瓶全山周回、九重連山縦走などに連れだって出かけ、少しずつ自信を取り戻すことができた。従来、山へは一人で行くことが多かったのだが、病み上がりの高齢者の単独行はさすがにリスクが大きいので、登山はなかばあきらめていた。再び山へ行く気になったのはこの友人の誘いのおかげである。

令和599日、私はついに富山県折立の薬師岳登山口に立った。ここから太郎坂を5時間ほど登れば北アルプスの稜線に出るのだ。こうして5日間の山旅が始まった。

標高が上がるにつれて、健康不安など、もろもろの雑念が霧散し、次第に異次元の世界へと誘われて行く。遠離一切顛倒夢想。懐かしきかな大いなる山々、わが心の北アルプス。

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天空の稜線上にどこまでも続く縦走路を、一歩一歩踏みしめながら、ゆっくりと歩いた。さほどしんどくはない。どうやら一旦は健康を取り戻せたようだという実感がじわじわと湧いてきた。そして、大いなるものへの感謝、さらには多くの人たちへの感謝が次々と思い浮かび、それらを噛みしめ噛みしめどこまでも歩いた。

913日、無事に奥飛騨温泉へ下山した。蒲田川沿いの露天風呂に首までどっぷりと身を沈め、「極楽極楽う・・」などとうめきながら川上方向に目をやれば、深く切れ込んだV字谷の彼方に、この私を労うかのごとく悠然と鎮座する槍ヶ岳が見えた。これには目頭が熱くなってしまった。もういい。これで・・いい。


# by ohchi-ishihara | 2024-01-12 00:01 | 徒然なるままに

悠山亭日記 その3

「女房殿が骨折!」の巻

~ 作務への気づき~

四月某日、嫁さんが転んだ拍子に右手首を骨折した。すぐに邑智病院で保坂先生に診てもらった。診断は「右橈骨遠位端骨折」。指先以外、右上肢のほぼ全体がギプスで固定され、三角巾で吊り下げられた。この状態でとりあえず6週間頑張りましょう、ということである。骨折したのは利き腕なので日常生活への支障は甚大だ。

というわけで少なくとも向こう6週間、家事のほとんどをこの私が担当せねばならぬことになった。これは大変なことだ。というのは、私は子供の頃から、「心頭滅却すれば火もまた涼し」とか「男子厨房に入るべからず」などと、武士道かぶれの亡父の薫陶を受けて育ったものだから、恥ずかしながら家事はほぼ100%嫁さんに任せっきりで今日まで過ごしてきたのである。しかしこうなった以上、武士道にかぶれているわけにもいくまい。というわけで嫁さんの指導を受けながら、炊事、洗濯、掃除などの手習い修行とあいなった次第である。


さて、慣れぬこれらの仕事をどうにかこなせるようになったころ、二つのことに気がついた。一つは、「これは、男やもめ暮らしの恰好の練習だ」ということである。まさか今さら心中でもあるまいから、夫婦のどちらかが先に逝き、連れ合いは残されるというのが道理だ。残されることになっても嫁さんは平気だろうが、私の場合はそうはいかない。一人暮らしをするには相当事前の練習が必要だ。今回の事態はまさにその好機ではないかということである。


もう一つが「家事とは作務(さむ)だ」という気づきである。

(作務:禅僧が行う農作業・掃除などの労働一般。仏道修行として重視される。広辞苑)

正直、はじめは厨房に立つのがおっくうで、とりわけ食器洗いや残飯処理は気が重かった。それがそうこうするうちに少し面白くなってきたのだ。食器洗いひとつにも奥義があると見た。素早く無駄のない動き、流れるような手順、ピカピカの仕上がり、環境に配慮して洗剤使用は最小限に、などと思いながら務めているとやがて、これは「道(どう)」ではないか、「家事道」とでもいうべき類の技ではないか、と思い至ったのである。そういえば鈴木大拙の書にこうある。「禅は、皿を洗うこと、土を耕すこと、花を眺めることのなかに啓示を見出す。智慧の目覚めは日常の生活にある。(「禅」ちくま文庫)」


「人間、いかに生きるべきか」との根源的な問いに対し、「今日を大切に生きよ」、「今日を限りの命ぞと思え」 というような趣旨の箴言(しんげん)は多くの先哲の決まり文句だが、これを受けて「ではさて、今日という日の課 題は何としよう、今日やり遂げるべきことは何か」などと大仰に構えてしまいそうであるが、それは全くのお門違い であることが解った、というのが「作務の気づき」ということである。

「今、ここ」にあるいつものルチンの仕事、例えば食器を洗う作業ひとつをも「作務」あるいは「道」と捉え真摯に 取り組む。それが、今を大切に生きるということなのではなかろうか。妻の骨折を機にどうやらそんな思いに至った ような気がするのである。


さてそれから数か月。嫁さんはギプスからも解放され、握力不足やしびれなどの合併症状もゆっくりではあるが日々快方に向かっているようだ。家事もほぼできるまでに良くしてもらった。邑智病院のおかげさまである。

そして、私であるが、貴重な気づきによる回心(えしん)の機会に恵まれながら、その後どうなったのかというと、何のことはない。元通りの、武士道かぶれの役立たず亭主に舞い戻っておる今日この頃なのである。

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# by ohchi-ishihara | 2023-10-17 16:10 | 徒然なるままに

悠山亭日記 その2 四国遍路の巻

(邑智病院だより49号から転載)


山路を登りながら、こう考えた。「私の寿命はあとどのくらいなのだろう?」


三月某日、私は愛媛県久万高原町、石鎚山系西麓の遍路道を歩いていた。四十五番札所岩屋寺へと続く「八丁坂」と呼ばれる険しい山路だ。

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        八丁坂 峠の茶屋跡

四国遍路では一番札所から八十八番結願までの千二百キロを歩き通すことを「通し打ち」といい、これに対して全行程を何回かに分けて歩くのを「区切り打ち」という。私は時間に余裕ができたことや、大病後の心境の変化などもあって、永年中断していたこの「区切り打ち」の続きを再開しようと思い立ち、こうして歩いている次第。


さて、その八丁坂を、ぶつぶつと経文を唱えつつ一歩一歩踏みしめながら登っていると、冒頭述べたような類の想念に次第に絡めとられていく。こうした、ひたすら内側へと向かう心の挙動は遍路旅ではめずらしくはなく、あたりまえに生起することのように思う。そこが、例えば北アルプスの縦走など、大自然に向かって心がスカーっと解き放たれるような旅とはかなり趣きが異なるのである。


遍路を歩く意味は、ご利益祈願でもなく、ましてや朱印帳のスタンプラリ―でもなく、私の場合「生死(しょうじ)のこと」に親しむことにあるように思う。死を恐れ忌み、できるだけ考えないようにするという通俗的日常感覚から離れ、生死のことに近しく向き合う、遍路にはそういうしかけがあるようだ。例えば、行き倒れたときのために、白衣は死に装束、金剛杖は墓標として用意される。道中繰り返し唱える般若心経は生死を引き寄せる魔性の呪文だ。そういう演出に浸りつつ歩くうちに、生死のことが次第に近しく思えてくるのである。


遍路旅では野宿を続けている若者も少なくないが、われわれ年寄りは遍路宿に泊めてもらうことが多い。これは遍路道に沿って点在する安宿で、つつましくも人情味豊かな宿が多い。泊り客は大抵一人旅で、見知らぬ者同士、互いの心の中に入り込むようなやり取りで時が過ぎるのを忘れることも少なくない。   

そうした中、この旅の四泊目の宿がとりわけ思い出深いものとなった。


その日は瀬戸内海沿いの道を三十キロ弱ほど歩き、今治市街に入る手前で宿をとった。客は八十歳のオランダ人と私の二人だけだった。彼はパリ在住の陶芸家で、なんと四国遍路は七巡目だそうな。六巡目まで一緒に歩いた奥さんを昨年がんで亡くし、今回は一人で逆打ち(八十八番札所から反対回りに歩く。難度が高い)をしているという。到底八十歳とは思えぬ凜とした居住まいで、冴えと慈愛に満ちた風貌が禅僧のような風格を漂わせていた。

私が、「歳と共に心身が衰えて、山路もだんだんしんどくなりますね」というと「私は衰え失った機能を嘆くよりも、今まだ残存している機能に感謝しながら生きています。緑内障で次第に視力が低下しているが、まだこんなに見える、と思えば少々の難儀はアクセプタブル(受け入れることができる)です」という。私は深く感銘を受けた。そのあとは「イッツ、アクセプタブル!」が二人の会話の合いの手となり大変盛り上がった。

彼は何十年も前から「あと一年の命」と思って生きてきたという。そうすることで、打算から離れ、一日一日を大切にすごせるのだという。これこそ日本人が永らく置き去りにしてきた「禅」や「武士道」の心ではなかったか。

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              オランダ人陶芸家Mels Boomさんと

私はこの老人にすっかり魅せられてしまった。この後も道連れ旅ができればと願ったが、あいにく彼は逆打ちで、しかも出発前に二十分ほど座禅を組むのが日課だそうで、後ろ髪を引かれつつ別々の出立となった。


# by ohchi-ishihara | 2023-06-01 17:48 | 徒然なるままに

生死(しょうじ)に親しむ時節

  石原 晋 (公立邑智病院名誉院長)
                    中国新聞セレクト(2023.4.19)「想」欄から転載

今年の正月に竹馬の友人から賀状をもらった。

「明けましておめでとう。私事、後期高齢者とあい成りしにつき、来年からは年賀状を失礼させていただく所存。

思えば煩悩に塗れ、恥多き人生でありました。然るに今の心境たるや、『あー、面白かった』(吉田拓郎の最終アルバムの銘)です。(以下省略)」

そして賀状の末尾は良寛禅師の

「風はきよし月はさやけしいざともに踊り明かさむ老いのなごりに」で括られていた。

年賀状を仕舞いにするのは生死(しょうじ)のことを身近に感じるようになったからだろう。友は昨年の夏食道摘出手術を受けたのだ。

大きな手術だから、医師として痛々しい事例も幾つかは見てきたはずで、これを受けるとなると相当な覚悟が要っただろう。

聞けば身内、友人に加え「般若心経」とノルディックウォーキングに多く救われたそうな。

不安が迫れば般若心経を唱え、眠れぬ時も般若心経を唱え、朝な夕なに歩いては般若心経を唱え、そうやって次第に達観の域に近づけたように思うという。むかし四国遍路を歩いたので、お経はそらんじていたのだ。


「煩悩に塗れた人生」とは、はて? 

わたしも負けず五欲(食、色、財、名、眠)に塗れて生きたやもしれぬ。さいわい衣食は足りていたので、礼節を知るべく、損得や蓄財には無頓着に生きてきたつもりだが・・


「あー、面白かった」には全く同感。

吉田拓郎といえば、多くの歌詞にみる言いぐさ(例「安いベッドでアレして遊ぼう」など)は本音に違いなく、奔放に煩悩に生きた人というべきか。

それらの歌は団塊世代に(まと)わる時々の空気感(煩悩)の発露でもあったろう。

そういう空気故か、親が許したらではなく就職が決まったらでもなく「ボクの髪が肩までのびたら結婚しよう」というノリでたいそうな文革をやらかしたのが我々団塊である。

挙句に「あーおもしろかった」もないもんだ。


さて徒然草に「我らが生死の到来ただ今にもやあらん」とぞいう。

ここはひとつ良寛様に倣って、踊り明かしてみるとしよう。


お気づきかと思いますが「竹馬の友人」とは「私=石原晋」です。年賀状の差出人も「私です」。失礼しました

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# by ohchi-ishihara | 2023-04-25 13:35 | 徒然なるままに

悠山亭日記1 ノルデイックウオーキングの巻

(邑智病院だより48号から転載)    

石原 晋

今号から、ときどき病院だよりのネタ切れを埋めるべく、駄文を寄せるよう仰せつかった。そこでタイトルを悠山亭日記とした。悠山亭とは矢上の力沢谷集落に佇む寓居の屋号である。

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         悠山亭 (表札の揮毫は日高武英君)

さて、11月某日。6時起床。カーテンを開ければ、我が家はどっぷりと濃い霧の中に沈んでいる。盆地を囲む山々はおろか、隣家の影さえうっすらとしか見えないのだが、それでも気分はすでに歩きたくて歩きたくてうずうずしている。そう、私は3年前からノルディックウォーキングにはまってしまったのだ。令和元年11月、荻原健司氏(冬季五輪スキ-複合ノルディックの金メダリスト)を招いて開催された町内のイベントに参加して手ほどきを受け、それ以来の中毒なのだ。

ともあれ今日も、カステラ一切れを牛乳で流し込むや、いそいそと玄関を出て、歩き出す。この気軽さが大変よろしい。有酸素運動を習慣化することが寝たきりや要介護を予防するうえでの要の一つであることは分かり切ったことだが、この習慣化というやつがなかなかの難題なのだ。しかし、この難題も、運動が、気軽で安上がりで、病みつきになるほどの楽しいものであれば、クリアはたやすい。ノルディックウォーキングこそがまさにそれなのだ。

さて、玄関を出ると、3km先の霧の湯温泉を目指して農道を西へ進む。あたりは一面濃い霧に包まれて景色は何も見えない。歩き始めは比較的平坦な道なので、小学一年生の入場行進よろしく大股気味に大手を振って歩く。すると一歩ごとに振り下ろす腕の重力がポール(ストック)を介して後方の地面を突いてくれるので、体がクイックイッと前方へと押し出される、この感覚がなんとも小気味よいのだ。ポールに力を入れる必要はない。ポールのストラップに腕の重さを預けるだけでよい。

力沢集落を過ぎて鹿子原にかかるとやや勾配がきつくなる。こうなると楽しさ倍増だ。上り坂にかかると上体を少し前に傾け、ポールを先ほどまでよりは少し強めに握って地面を突く。すると腕の力が登坂力を助け、今度は体をクイックイッと押し上げてくれるのである。快感!というほかない。

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          香木の森公園付近から鹿子原(かねこばら)集落

そうこうするうちにAjikuraあたりまで登ってきた。するとどうだ。にわかに霧が晴れあがり、眼前にまぶしいほどの明るい景観が開けた。ついに私は雲海の上に出たのだ。正面を見上げれば、でーんと大きく原山連山が朝日に照らされて輝いている。天は高く真っ青な秋晴れだ。やおら振り返れば案の定、矢上も中野も井原も、於保知盆地ぜんぶが広大な雲海の下にまだ沈んだままだ。そしてその雲海の尽きるところに、ひとり気高く美しく鎮座ましますのは石見冠山である。思わず合掌したい気分に誘われる荘厳な眺めだ。これだからノルディックウォーキングはやめられない。

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於保知(おおち)盆地の雲海。中央に石見冠山(いわみかんざん)遠望

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付記

ノルディックウォーキングにハマってみたくなった方へ

ノルディックウォーキングの楽しさと体力増進効果を実感するためには、①正しい歩き方を教わる必要があります。また②ノルディックウォーキング専用のポール(ストック)が必要です。いずれも下記で相談にのってもらえます。

🔎おおなんノルディックウォーキングクラブ(邑南町 井原公民館内)


# by ohchi-ishihara | 2023-04-07 13:51 | 徒然なるままに

石原晋 名誉院長のブログ


by ohchi-ishihara