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一番大事なことは、今、ここにある

町内の3中学校の3年生に講演する機会をいただきました(5月27日 出羽公民館)。
こんなお話をしてみました。

みなさん、こんにちは。邑智病院の院長、石原晋といいます。今日は「人生」ということについて、一緒に考えてみましょう。「人生」「ひとの一生」ってどのくらいあるんだろう。例えば75年生きるとして、365日×75年=27,375日、この中にうるう年が18回あるから18日足して27,393日ですかね。実は、この27,393日のなかに、一日だけ、ものすごく特別な、ものすごく大事な日があるんですね。それは、いつだと思う?
それはね・・・・「今日」という日です。それが私のお話の結論です。

ここでみなさんに聞いてみたいのですが・・みなさんの将来の夢、目標、それはなんですか?だれか教えてくれますか?
 ・・・いいですいいです。こんな大事なこと、今日初めて会ったおっさんに、しかもみんなの前で教えるようなことじゃないよね。はい。胸に秘めておいてください。

 例えば、「目標:総理大臣になるぞ」という人が居たとしましょう。そこで、目標達成に向けて計画を立てなければなりません。まず15歳、高校に進学したら、そこで成績1番になる。そして18歳、東京大学の法学部に合格。22歳で財務省に入る。30歳で衆議院議員。45歳で大臣。55歳で晴れて総理大臣・・・う~ん。果たして、人生ってそういうもんだろうか? ・・・そううまく計画通りにはいかないのが人生です。
 ちなみに僕の小学生のころの夢は、お金持ちになって、生まれ故郷、日貫村と、となりの矢上町(いずれも現、邑南町)の間の道路を舗装することでした。でも、世の中は急速に発展して、僕が大人になる前に、町内のほとんどの道路はあっという間に舗装されましたし、僕がお金持ちになるということもありませんでした。そうです。計画通りにいかないのが人生なのです。あしたのことは誰にもわかりません。

 人生、計画どおりには行かない、あしたのことは誰にもわからない。これが問題なんだよね。計画通りに行くのであれば、努力のしがいもあるし、勉強する意味もわかる。
 う~ん。どうして勉強しなくてはいかんのだろう。楽しいこと、やりたいことを我慢して、どうしてつらいことをしなくてはいかんのだろうか?
 この疑問、誰もが持つよね。その答えはですね・・・今はわからないのです。ず~っとあとになってからわかるんです。一生懸命勉強するとどんないいことがあるかは、人によって全部違うから、人に聞いてもわかりません。ず~っとあとになって「一生懸命勉強してよかったな」とか「もっと勉強しておけばよかったな」としみじみわかるのです。
 ただ、ひとつ言えることがある。勉強することは、高い山に登るようなものです。高いところに登れば登るほど視野がひろがり、裾野がひろがります。そうすると、人生の目標が、自然に見えてくるのです。そして、なりたいものになれる可能性がひろがってくるのです。そうです。勉強は視野を広げ人生の可能性を広げるものなのです。
 スポーツだとわかりやすいかな。目標はよくわからないのだが、よくわからないままに、ただひたすら日々身体を鍛える。毎朝毎夕、雨の日も風の日もただひたすら走りこむ。そうするとサッカーでもバスケでも、野球でも、やりたいスポーツにであったとき、必ず役に立つ。でしょ? ただし・・僕は運動音痴だったからそう思うのかもしれないですけど・・スポーツを一生の仕事として目指すって、つまりプロのスポーツ選手になるって結構、難関だよね。大きな努力と人並みはずれた才能が必要だろうけど、それらがあれば夢がかなうというわけでもない。大きな賭けだ。
「勉強」は賭けじゃない。こつこつ積み重ねて行けば、必ずやりたい仕事が、掴み取ることのできる距離に見えてくる。
 
 「仕事」は人生の一大事です。もちろん「仕事」は「人生」のすべてではないけれど、「仕事」無くして「人生」はありません。仕事を通じて自分や家族を養うお金を得、仕事を通じて人々の役に立ち(社会貢献)、仕事を通じて人生の目標を叶える(自己実現)、それが仕事というものなのです。そしていつか、自分のやりたい仕事が見えてきたとき、そのときに自分の裾野のひろさがものをいうのです。今、勉強することの意味は、まさに、君たちの裾野を広げ、視野を広げることにあるのです。生きがいある仕事に就く、そのためには、今、目の前にあるしんどいことを、意味もわからないままに、一生懸命やることです。
 
 さて、どんな仕事がいい仕事だろうか?仕事に貴賎はあるだろうか? 明らかに貴賎は、ありますわ。君たちは、賎しい仕事をしてはいけません。賎しい仕事、それはですね、詐欺、ゆすり、たかり、ペテン師、恐喝、泥棒、強盗、ギャング、やくざなどは賎しい仕事です。それら以外のまっとうな仕事はすべて尊いです。必ずどこかで誰かに必要とされ、喜ばれている、つまり社会貢献に繋がる仕事です。そして仕事を通じて社会貢献する、それが生きがい、幸福への道です。

 さて、人生、これは一度きりです。やりなおしは無しです。一度しかない人生ですから、できるだけ後悔しないよう、一生懸命生きて、死ぬときに振り返って「やったね!」という達成感のある人生にしたいもんだよね。

 ところで、なぜ一生懸命生きなければならないのだろう? ひとの人生って、そんなに大きなもんですか。ひとの命は地球より重い??? 僕は長年救急病院で働いてきましたから、さっきまで元気だったひとが、交通事故や心臓の発作であっけなく亡くなってしまうのを毎日のように見てきました。ひとの命なんて、実は吹けば飛ぶようなはかないものなんです。

 ひと、あるいは自分の存在は、はるか悠久の時間を流れてゆく、果てしない大宇宙の広がりのなかの、一粒の砂にも満たない存在にすぎません。
 君たちは今、思春期、大人の仲間入りの入り口にさしかかっている。家族のこと、友達とのこと、将来のこと、いろいろ悩むことがあるだろう。悩んだときの特効薬を教えましょう。僕の秘伝です。悩んだときにはふるさとの山を仰ぎなさい、満天にきらめく星を仰ぎなさい、そして、大自然、大宇宙に抱かれた自分を感じながら、今、君が悩んでいることに対して「小さい小さい」とつぶやきなさい。これでほとんどOKです。僕の悩みも、僕の存在そのものも、一粒の砂以下のものなのですから。

 さて、そんなちっぽけなはかない僕たちの人生、なのに、どうして一生懸命にいきなければいけないのだろう?そもそも人生ってなんだ。君の人生ってなんだ、生まれる前はどこにいたのですか?君はなにものですか?君は死んだらどこへ行くのですか?

 確かにひとの命は、永遠の大宇宙のなかの一粒の砂粒にも満たない小さな小さな存在かもしれない。けれども、実は、君はバトン走者なのです。君のご両親から受け継いだバトンを持って、今、君の人生を走っているのです。そのバトンは、ご両親の前は、おじいさん、おばあさん、その前はひいじいさん、ひいばあさん、その前は、ひいひいじいさん、ひいひいばあさん・・・・・・・・何十万年も前のご先祖様から引き継がれたバトンなのです。そしてそのバトンを君たちがまた、君たちの子供、君たちの子孫へと伝えていくのです。その「バトン」の正体・・・わかりますか? その「バトン」とは、君を君たらしめている「DNA」です。遠い祖先から、君を経て、遠い子孫へと伝えられる果てしないバトンのつながり、その長い長い歴史の中の一瞬の一区間を君の人生が担っているのです。そして、君が君自身の命を一生懸命に生き、幸せな人生を生き、そのバトンがしっかり次の世代に伝えられていくのを、ご先祖様たちは、ふるさとの山々の精霊となり、流れる雲となり、夜空の星となり、八百万の神々となって、君のまわりにいつも居て、君を見守って居られるのです。

なぜ一生懸命に生きなければいけないのか
なぜ卑怯なことをしてはいけないのか
なぜいじめをしてはいけないのか
なぜ万引きをしてはいけないのか
なぜひとをだましてはいけないのか
それは・・・ご先祖様に申し訳が立たないからです
君のもつバトン、君に流れるDNAを汚すことだからです

確かに君の命は、一粒の砂ほどに小さくはかないものだとしても、君が持つバトン、君にながれるDNAは大宇宙そのものなのです。

日々 故郷の山を仰げ
日々 天空に浮かぶ雲を
夜毎 蒼穹の星を仰げ

そして大宇宙に胸を張れるよう、今日というかけがえのない一日を大切に生きよう
by ohchi-ishihara | 2011-07-05 16:55 | 講演記録

石原晋 名誉院長のブログ


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