IE9ピン留め

一番大事なことは、今、ここにある

町内の3中学校の3年生に講演する機会をいただきました(5月27日 出羽公民館)。
こんなお話をしてみました。

みなさん、こんにちは。邑智病院の院長、石原晋といいます。今日は「人生」ということについて、一緒に考えてみましょう。「人生」「ひとの一生」ってどのくらいあるんだろう。例えば75年生きるとして、365日×75年=27,375日、この中にうるう年が18回あるから18日足して27,393日ですかね。実は、この27,393日のなかに、一日だけ、ものすごく特別な、ものすごく大事な日があるんですね。それは、いつだと思う?
それはね・・・・「今日」という日です。それが私のお話の結論です。

ここでみなさんに聞いてみたいのですが・・みなさんの将来の夢、目標、それはなんですか?だれか教えてくれますか?
 ・・・いいですいいです。こんな大事なこと、今日初めて会ったおっさんに、しかもみんなの前で教えるようなことじゃないよね。はい。胸に秘めておいてください。

 例えば、「目標:総理大臣になるぞ」という人が居たとしましょう。そこで、目標達成に向けて計画を立てなければなりません。まず15歳、高校に進学したら、そこで成績1番になる。そして18歳、東京大学の法学部に合格。22歳で財務省に入る。30歳で衆議院議員。45歳で大臣。55歳で晴れて総理大臣・・・う~ん。果たして、人生ってそういうもんだろうか? ・・・そううまく計画通りにはいかないのが人生です。
 ちなみに僕の小学生のころの夢は、お金持ちになって、生まれ故郷、日貫村と、となりの矢上町(いずれも現、邑南町)の間の道路を舗装することでした。でも、世の中は急速に発展して、僕が大人になる前に、町内のほとんどの道路はあっという間に舗装されましたし、僕がお金持ちになるということもありませんでした。そうです。計画通りにいかないのが人生なのです。あしたのことは誰にもわかりません。

 人生、計画どおりには行かない、あしたのことは誰にもわからない。これが問題なんだよね。計画通りに行くのであれば、努力のしがいもあるし、勉強する意味もわかる。
 う~ん。どうして勉強しなくてはいかんのだろう。楽しいこと、やりたいことを我慢して、どうしてつらいことをしなくてはいかんのだろうか?
 この疑問、誰もが持つよね。その答えはですね・・・今はわからないのです。ず~っとあとになってからわかるんです。一生懸命勉強するとどんないいことがあるかは、人によって全部違うから、人に聞いてもわかりません。ず~っとあとになって「一生懸命勉強してよかったな」とか「もっと勉強しておけばよかったな」としみじみわかるのです。
 ただ、ひとつ言えることがある。勉強することは、高い山に登るようなものです。高いところに登れば登るほど視野がひろがり、裾野がひろがります。そうすると、人生の目標が、自然に見えてくるのです。そして、なりたいものになれる可能性がひろがってくるのです。そうです。勉強は視野を広げ人生の可能性を広げるものなのです。
 スポーツだとわかりやすいかな。目標はよくわからないのだが、よくわからないままに、ただひたすら日々身体を鍛える。毎朝毎夕、雨の日も風の日もただひたすら走りこむ。そうするとサッカーでもバスケでも、野球でも、やりたいスポーツにであったとき、必ず役に立つ。でしょ? ただし・・僕は運動音痴だったからそう思うのかもしれないですけど・・スポーツを一生の仕事として目指すって、つまりプロのスポーツ選手になるって結構、難関だよね。大きな努力と人並みはずれた才能が必要だろうけど、それらがあれば夢がかなうというわけでもない。大きな賭けだ。
「勉強」は賭けじゃない。こつこつ積み重ねて行けば、必ずやりたい仕事が、掴み取ることのできる距離に見えてくる。
 
 「仕事」は人生の一大事です。もちろん「仕事」は「人生」のすべてではないけれど、「仕事」無くして「人生」はありません。仕事を通じて自分や家族を養うお金を得、仕事を通じて人々の役に立ち(社会貢献)、仕事を通じて人生の目標を叶える(自己実現)、それが仕事というものなのです。そしていつか、自分のやりたい仕事が見えてきたとき、そのときに自分の裾野のひろさがものをいうのです。今、勉強することの意味は、まさに、君たちの裾野を広げ、視野を広げることにあるのです。生きがいある仕事に就く、そのためには、今、目の前にあるしんどいことを、意味もわからないままに、一生懸命やることです。
 
 さて、どんな仕事がいい仕事だろうか?仕事に貴賎はあるだろうか? 明らかに貴賎は、ありますわ。君たちは、賎しい仕事をしてはいけません。賎しい仕事、それはですね、詐欺、ゆすり、たかり、ペテン師、恐喝、泥棒、強盗、ギャング、やくざなどは賎しい仕事です。それら以外のまっとうな仕事はすべて尊いです。必ずどこかで誰かに必要とされ、喜ばれている、つまり社会貢献に繋がる仕事です。そして仕事を通じて社会貢献する、それが生きがい、幸福への道です。

 さて、人生、これは一度きりです。やりなおしは無しです。一度しかない人生ですから、できるだけ後悔しないよう、一生懸命生きて、死ぬときに振り返って「やったね!」という達成感のある人生にしたいもんだよね。

 ところで、なぜ一生懸命生きなければならないのだろう? ひとの人生って、そんなに大きなもんですか。ひとの命は地球より重い??? 僕は長年救急病院で働いてきましたから、さっきまで元気だったひとが、交通事故や心臓の発作であっけなく亡くなってしまうのを毎日のように見てきました。ひとの命なんて、実は吹けば飛ぶようなはかないものなんです。

 ひと、あるいは自分の存在は、はるか悠久の時間を流れてゆく、果てしない大宇宙の広がりのなかの、一粒の砂にも満たない存在にすぎません。
 君たちは今、思春期、大人の仲間入りの入り口にさしかかっている。家族のこと、友達とのこと、将来のこと、いろいろ悩むことがあるだろう。悩んだときの特効薬を教えましょう。僕の秘伝です。悩んだときにはふるさとの山を仰ぎなさい、満天にきらめく星を仰ぎなさい、そして、大自然、大宇宙に抱かれた自分を感じながら、今、君が悩んでいることに対して「小さい小さい」とつぶやきなさい。これでほとんどOKです。僕の悩みも、僕の存在そのものも、一粒の砂以下のものなのですから。

 さて、そんなちっぽけなはかない僕たちの人生、なのに、どうして一生懸命にいきなければいけないのだろう?そもそも人生ってなんだ。君の人生ってなんだ、生まれる前はどこにいたのですか?君はなにものですか?君は死んだらどこへ行くのですか?

 確かにひとの命は、永遠の大宇宙のなかの一粒の砂粒にも満たない小さな小さな存在かもしれない。けれども、実は、君はバトン走者なのです。君のご両親から受け継いだバトンを持って、今、君の人生を走っているのです。そのバトンは、ご両親の前は、おじいさん、おばあさん、その前はひいじいさん、ひいばあさん、その前は、ひいひいじいさん、ひいひいばあさん・・・・・・・・何十万年も前のご先祖様から引き継がれたバトンなのです。そしてそのバトンを君たちがまた、君たちの子供、君たちの子孫へと伝えていくのです。その「バトン」の正体・・・わかりますか? その「バトン」とは、君を君たらしめている「DNA」です。遠い祖先から、君を経て、遠い子孫へと伝えられる果てしないバトンのつながり、その長い長い歴史の中の一瞬の一区間を君の人生が担っているのです。そして、君が君自身の命を一生懸命に生き、幸せな人生を生き、そのバトンがしっかり次の世代に伝えられていくのを、ご先祖様たちは、ふるさとの山々の精霊となり、流れる雲となり、夜空の星となり、八百万の神々となって、君のまわりにいつも居て、君を見守って居られるのです。

なぜ一生懸命に生きなければいけないのか
なぜ卑怯なことをしてはいけないのか
なぜいじめをしてはいけないのか
なぜ万引きをしてはいけないのか
なぜひとをだましてはいけないのか
それは・・・ご先祖様に申し訳が立たないからです
君のもつバトン、君に流れるDNAを汚すことだからです

確かに君の命は、一粒の砂ほどに小さくはかないものだとしても、君が持つバトン、君にながれるDNAは大宇宙そのものなのです。

日々 故郷の山を仰げ
日々 天空に浮かぶ雲を
夜毎 蒼穹の星を仰げ

そして大宇宙に胸を張れるよう、今日というかけがえのない一日を大切に生きよう

# by ohchi-ishihara | 2011-07-05 16:55 | 講演記録

頑張ろう邑智病院!生まれ変わろう日本!

  このたびの東日本大震災は、太平洋戦争にも匹敵する大変な国難と思われます。これから長い、困難な復興、再生への道程を、国民一丸となって歩んでゆかなければなりません。直接被害を蒙らなかった西日本のわれわれも、痛みわけを担う覚悟と行動が求められましょう。
 
  これまで公立邑智病院では、医師不足による医師の疲弊や経営の悪化に苦しんできました。そして、医師の確保や、外部からの繰り入れ金を確保することが、院長の重要な業務と認識し尽力してきました。市場原理主義のもと大都市や高利潤分野に極度に集中した富と人材を地方と社会共通資本(医療福祉教育)などの分野に取り返す作業こそ使命と考えてきました。

  社会情勢は一変しました。いま邑智病院がなすべきことは、少しでも自立にむけた努力をすること、それがわれわれにできる東北への最大の支援であり、わが国の再興にむけた協力であろうと思います。うれしいことに、この4月から、超ベテランの医師2名を迎えることができ医療現場の士気が大変盛り上がっております。内科の保坂医師と外科の合田医師です。私も院長業務を削りながらすこしでも医療現場の業務にシフトしようと、老体に鞭打っております。

  それにしてもじれったいのはこの国難に対する国の舵取りです。早急になすべきことは、与野党の党首が整列し、国民に向かって土下座して「数十兆円の赤字国債の発行と、その償還財源としての増税(累進課税と消費税)」をお願いすることです。今ならみんな解ってくれます。明確な財源に裏打ちされた再興の道筋を示すことが国民の希望と国際的信頼に繋がります。
  さらに、今「右肩上がりの経済成長」を最大の価値とする舵取りから、「ほどほどの国」へと脱皮する最大のチャンスではないでしょうか。ほとんどすべての国々が経済成長を追及する現状に、もう地球環境は持ちこたえられないのは自明です。人類はやりすぎてしまったのです。原発廃止や環境保護を両立させながらの経済成長などありえません。この国難が、経済成長や富の追及を卑しみ、心の豊かさや品格を重んじる、規範国家へと脱皮するチャンスとなることを願ってやみません。

# by ohchi-ishihara | 2011-04-28 08:47 | 院長便り

盆地の冬 その1

冠山(かんざん)
深志の山、深篠山、神守山(こうもりやま)などの呼称もあるようです
東方に聳え、盆地を見守っているようです

京太郎山
地酒の銘柄にもなっている山名です。盆地の北に連なります。
山の向こうは日和高原。山懐をトンネルが貫通しています。

原山
盆地を囲む山々の最高峰です
中腹を走る「原山雲海ロード」を抜ければ、中国道瑞穂IC、瑞穂ハイランドスキー場です

# by ohchi-ishihara | 2010-12-03 16:44 | いわみ賛歌

春はまだ来ない?

野に山に、一斉に新緑が芽吹き始め、今年も心浮き立つ季節がめぐってきましたが、地域医療の春の到来はまだまだ先のことのようです。石見地方(大田市~鹿足郡)の中核病院は軒並み深刻な医師不足で、いくつかの病院では救急病院の指定が取り下げられました。
当院の常勤医師数も10人(平成20年)から、今年度は7人にまで減少してしまいました。この少ない人数で、救急医療体制を維持するために、全員一生懸命頑張っております。しかし、頑張っても頑張っても、体力気力には限界がありますから、いろいろ対策もとってきました。

①救急診療の当直医を常勤医師だけ割振るのは無理です。そこで、これまでも広島大学救命救急センターに週末の当直を応援してもらってきましたが、今年度からは、さらに一層の応援をお願いしたところ、当方の窮状を察していただき、快諾してもらうことができました。谷川攻一教授をはじめ同救命救急センターのみなさんに伏して感謝する次第です。

②平成23年度中に島根県でドクターヘリ事業が開始されます。(微力ながら私も事業立ち上げに関わってきました。)これに先立ち、本年3月18日から模擬的な事業がはじまりました。当院からの要請に応じて、県立中央病院や島根大学病院の医師がヘリコプターで重症患者を迎えにきてくれるシステムです。すでに何度かお世話になりました。昨年秋のヘリポート竣工と併せ、心強いことです。

③常勤医師数減少の中、私院長も、外来診療日を週2日から3日に増やし、救急車対応当番にも入るなど、院長としての業務をかなり削って、一兵卒として医療現場に立っております。一方、これまで週1回、阿須那診療所での外来を担当しておりましたが、医師不足のため継続困難で、今年度からは月1回の診療とならざるを得ず、阿須那地区の皆様には大変申し訳なく思っております。

いずれにせよ、今全国で吹き荒れる「医療崩壊」の嵐の最大要因が、新自由主義、市場原理主義を根幹に据えた、ここ十数年の国の舵取りにあることは間違いありません。舵取りの方向が大きく変わらない限り、医療崩壊は止まりません。今、この国の再生のための最重要課題は社会保障財源(医療、年金など)の確保です。負担増(社会保険料や消費税)は避けて通れません。与党野党を問いません。そのことを、勇気を持って公言する政治集団が政権を取ることを祈るばかりです。

# by ohchi-ishihara | 2010-05-28 13:59 | 院長便り

新年のあいさつ

あけましておめでとうございます

年明け早々から暗い話題で申し訳ないのですが、わが国を覆う「医療崩壊」の暗雲になかなか晴れ間が見えません。農業・水産業や医療・福祉に冷たい小泉改革以来のこの国の政策が、このような医療崩壊を招いたことはあきらかですが、政権交代で少しは改善の方向に向かうのでしょうか。大きな支持を得て発足した新政権ですが、「事業仕分け」や「予算編成」の作業をみている限り、舵取りの能力と誠意と方向性に、失望を禁じ得ません。

わが公立邑智病院では、医師不足・看護師不足から、平成18年度に50%を割り込んでいた病床利用率が、地域のご支援と職員の結束で平成20年度は73%まで回復しました。これで安定軌道に乗るかと思われたのも束の間、今年度初めには外科常勤医が不在となり、内科医も1名減となりました。これにより再び病床利用率が低迷し、60%台で推移しております。このような状況は、全国規模で蔓延する医療崩壊、勤務医不足によるものですが、その影響は、体力の弱い県西部で特に深刻です。東の大田市立病院では外科医不在となりそうです。西の津和野共存病院は経営破綻し、多額の負債を町が肩代わりして公設民営で再出発となりました。石見部のすべての中核病院の機能が大きく低下しています。もはや一病院の努力、地域毎の努力で医師確保や経営健全化を図ることは大変困難な状況になっています。

わが国はこの10年ほどの間に、医療・福祉関連予算(対GDP比)が先進国中で最下位グループという低福祉国家になってしまいました。せめて中福祉の国々(イタリア、スペインなど)なみの予算配分の方向へ舵を切らなければ、国民の安心が破綻してしまいます。私たちは、そのことを住民運動から国民運動へと盛りあげてゆくことが今大変重要だと思います。

邑智病院は、邑智郡内唯一の救急病院、急性期病院です。邑智郡の暮らしの安心安全のために、絶対に存続し続けなければなりません。この苦しい時代状況を乗り越え、生き残ってゆくためには、地域の皆様のご支援が欠かせません。私たち病院職員も地域住民です。地域の皆様と一丸となって、世論を盛り上げ、また、国政に発信してゆきたいと思います。
引き続きご指導、ご支援をよろしくお願い申し上げます。
                                       病院玄関にて(2010.1)
(写真左から)診療技術部長 伊達、副院長 藤脇、院長 石原、看護部長 三浦、事務部長 日高

# by ohchi-ishihara | 2010-01-22 14:57 | 院長便り

外科医師がいない!

 ここ何年かの間に、外科医をめざす若い医師が激減しているようです。また、手術を執刀している現役の外科医のなかにも、メスを捨てて内科医や開業医に転進するひとが増えているそうです。今、日本中で外科医不足が大変深刻です。本年7月には、わが公立邑智病院でも、開院以来はじめて外科の常勤医師が不在になってしまいました。院長として責任を痛感しております。この間、なんとか外科医を確保しようと、石橋町長(邑智郡公立病院組合管理者)とともに、島根大学、広島大学や県庁へ何度も陳情にいきましたが、「どこにも外科医がいない」という現実を実感しただけで、これまでのところ徒労でした。打ちひしがれていても事態は好転しませんから、引き続き医師確保に奔走します。このような事態は日本中のいたるところで噴出しているのですが、とりわけ島根県西部(石見地方)の状況は悲惨です。日原では病院が閉鎖されました。津和野の病院では外科、整形外科の医師が不在となり救急車の受入れができなくなりました(救急告示取り下げ)。大田の市立病院でも来春、外科医が不在になる事態が危惧されています。
 公立邑智病院では、外科専従医が不在となった8月から大きな外科手術はできなくなりましたが、外科外来は閉鎖せず、私院長(救急科、麻酔科)と森田医師(泌尿器科)で担当しています。時間外の外科診療も全医師が交代で対応しております。救急車の受入れも従来どおりです。先の見えない情勢のなかで、なんとか医療機能を維持しようと、現有勢力で頑張っておりますので、ご理解とご協力をよろしくお願い申し上げます。
 いずれにせよ、医師不足など、わが国に医療崩壊状態をもたらした最大の要因は、新自由主義(グローバル資本主義)を国の舵取りの根幹に据えた小泉構造改革により、医療、福祉の切捨てが推し進められたことにあることは明らかです。このことについては麻生前政権も軌道修正の方針を名言していましたし、民主党主導の新政権においても、医療や福祉を再生させる方針が示されております。現状は最低ですから、これより悪くはならないだろうと楽観するほかありません。財源をどうするのか・・など大きな不安はありますが、新政権の舵取りに注目したいと思います。

            邑南町飛行場外離着陸場(邑智病院敷地内)開所式での一枚

# by ohchi-ishihara | 2009-10-20 14:09 | 医療時事

萌える新緑に思う

 今年も新しい季節がめぐって来ました。この盆地を囲む山々に生き生きと新緑が萌え、張られたばかりの田んぼの水がその美しい山々の姿を映しこんでいます。何十年も都会で暮らしていたものですから、毎年毎年繰り広げられる、四季の移ろいと農耕の営みとの調和が生み出す壮大な光景に、ただ「すごいなあ」と口をあんぐりあけて見とれるばかりです。いつまでもいつまでもこうあり続けて欲しいと願う日本の原風景です。
 しかしよく見ると、耕されずに放置された田んぼも少なくありません。それに、子供の頃に比べ黄砂も多くなったように思います。現実はなかなか厳しいものがあるようです。
 私は昭和35年に、町の中心部から10Kmほど離れた日貫(ひぬい)という辺鄙な集落の小学校を卒業しましたが、当時は300人以上の在校生がおりました。同級生は62人で、2クラスに分かれていたのです。チャンバラごっこなどで山野を駆け回って遊んでいましたから、谷あいの集落には子供たちの歓声がこだまして、朝早くから日が落ちるまで、それはにぎやかなものでした。今はといえば、全校生徒数25名だそうで、この集落もひっそり閑としたものです。ヒト、モノ、カネが都会へ都会へと流れ続けて数十年、このままでは日本の田舎には本当にヒトがいなくなってしまいそうです。
 これまで、わが国はもちろん、ほとんどすべての国々において「右肩上がりの経済成長」を最大の価値とする舵取りが行われてきました。その結果、環境破壊、地球温暖化の危機がもたらされました。そして今、世界はパラダイムの大転換期にさしかかっているように思われます。国民総生産(GNP)ではなく国民総幸福量(GNH)を国政の根幹におくブータン王国が注目され、米国では温暖化防止や核軍縮を高らかに謳う大統領が誕生するなどはそのことを象徴しています。
 わが国でも、「聖域無き行財政改革」の方針が反省され、医療、福祉、教育などを聖域として建て直し、第一次産業を重視する方向へと政策転換がなされようとしています。遅きに失したきらいはあるものの、歓迎すべき流れであると思います。田舎の復権、第一次産業の再興にこそ、わが国の将来があるのではないでしょうか。
 公立邑智病院は邑智郡民の皆様とともにあります。元気な邑智郡がさらに元気であるために、そして日本中の田舎に元気がもどるその日を夢見て、職員一同頑張りたいと思います。引き続きご支援をよろしくお願いいたします。
         田植えを終えたばかりのたんぼ(邑南町内)[撮影者:松島千晶]

# by ohchi-ishihara | 2009-05-08 14:38 | 院長便り

新年のごあいさつ (平成21年)

 あけましておめでとうございます。
 昨年を象徴する漢字は「変」でした。年度初めの好景気は秋口から急転直下、いまや地球規模の大不況です。ここ数年注目されてきた「医療崩壊の嵐」も、全分野を巻き込む大不況の前で、影が薄くなってしまいました。いやはや大変な年明けとなりました。
 さて、徒然草の第123段に「第一に食ふもの、第二に着るもの、第三に居るところ(中略)薬を加へて、四つの事、求め得ざるを貧とす。この四つのほかを求め営むを奢りとす。」というくだりがあります。兼好法師の時代(鎌倉期)から医療は衣食住とともに暮らしの根幹と考えられていたわけで、国の舵取りにおいても、そのことを忘れないでいただきたいものです。国が進める病院の統廃合、集約化などは地方切捨ての大愚策というほかありません。地域に病院は不可欠です。専門治療のために広島や東京へ行く気力、財力、時間のある方はもちろんそうされればよいのですが、「よそへは行かれん」「よそへは行きとうない」という方もたくさんいらっしゃいます。このようなニーズにできるだけお応えすることが当院の使命だと思います。
 しかしすべての領域をカバーする専門スタッフを揃えることは不可能です。そこで医師同士、職員同士が相互指導、相互支援することで、一人ひとりが専門の枠に囚われることなく、隙間を埋めあい、地域の医療ニーズの8割をカバーすることを目標に努力してきました。このことについては、地域の皆様のご理解が欠かせません。本年も引き続き、暖かいご支援をよろしくお願い申し上げます。

# by ohchi-ishihara | 2009-01-09 10:47 | 院長便り

和顔施 わげんせ

赤木賢二書 和顔施 平成20年新春 


 昨年(平成19年)の春、県立広島病院救命救急センター部長から公立邑智病院院長にトラバーユしました。還暦を間近にしての大きな転進でしたから、人生のリセットが必要だと思いました。33年かかって積み上げた少しばかりの「功と名」のしがらみは捨てて、真っ白な謙虚な気持ちになって郷里へ帰ろうと思いました。
 そこで、年明けから、四国八十八箇所のお遍路にいくことにしました。全行程1.200kmを一気に歩くほどの休みはとれないので、数泊ずつの区切り打ちです。
 広島発徳島行きの高速バスに乗り、一番札所(霊仙寺)近くの停留所で降りると、バスは走り去り僕はひとり残され、やおら歩き始めると、その瞬間から不思議な感覚に包まれます。歩いているのはなんの変哲も無いはずの四国の大地です。なのに、人里の路地、田んぼのあぜ道、険しい山越え、あるいは波打ち際の遍路道を、歩いては読経、歩いては読経を繰り返すうち、体験したことの無いさわやかで新鮮な心象に包まれていきます。そして、ただ夢遊病者のように、なにも考えず(あるいは晩飯のことだけを考え)ひたすら歩き、般若心経を唱え、という旅が続きます。ある解説書によれば、出張でもなく観光でもなく、巡礼者として四国に踏み込んだとき、そこは地理的空間としての「四国」ではなく、曼荼羅世界としての「お四国さん」に変わるのだそうです。
 ある2月の快晴の日、私は、23番札所から24番札所にかけての75kmにもおよぶ長い単調な海岸線を何時間もひたひたと歩いていました。いつまでたってもどこまでいっても左手は目がくらむほどの陽光あふれる太平洋、はるかかなたに霞む室戸岬は歩いても歩いても一向に近づいて来ません。
 吉田拓郎の「今日までそして明日から」を繰り返し繰り返し歌いながら歩いていると、突然、説明のつかない涙がとめどなく溢れてきました。未体験の心的ゾーンへ突入です。呆然としました。それは、14歳のころ、生まれて初めて夢精したときに感じたようなワープ感に似ていました。なにが起きたんだ?! その不思議な未体験感覚に驚いて歩みを止めました。そして左手太平洋の真上に輝く太陽に向かい、大声で般若心経を唱えました。すると太陽はお大師様の幻影に変わり、その後光の中に「和顔施」の文字がうかびあがった・・ように思いました。「人は優しくなければいけない。優しくなければ人ではない」。
 この場面はその後も何度も夢に見ました。日がたつにつれ、あるいはあれは夢だったのかとも思います。この強烈な体験から、この教え「和顔施」を座右においてこれからの残りの日々を生きていこうと思いました。邑智病院の中にもこれを掲げたいと思いました。そこで、私がその筆使いを尊敬してやまない友人(素人書家)にお願いしました。その友人が「すずりを磨ってはため息をつき、やっと筆をとって(友人談)」半年後に書き上げてくれたのがこの文頭の書です。なんとやさしく穏やかな筆致ではありませんか、言葉の持つ言霊がそのまま書相に表わされています。
 この書を当院の2つの病棟をつなぐ渡り廊下に掲げました。廊下の角を曲がるといやでもこの書に出会います。そのたびに人は、「ああ、今日こそやさしい人間でいよう」と思うにちがいありません。医療人にとってもっとも大切なことではないでしょうか。



# by ohchi-ishihara | 2008-01-18 20:20 | 院長便り

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