市場原理主義者に医療を売り渡してはならない

市場原理主義者に医療を売り渡してはならない

(日本病院会ニュース 平成277月号5面)

              公立邑智病院 参与 石原 晋

本年2月、日本病院会島根県支部が20番目の支部として発足した。支部立ち上げの動機はいうまでもなく、昨年6月公布の「医療介護総合確保推進法」、なかんずく「地域医療構想」にある。

われわれは「支部設立趣意書」の冒頭でこう謳った。

「急速に進む高齢化、人口減少社会の到来、国家財政の悪化など、我が国の厳しい経済見通しの中にあって、医療福祉関連支出は膨張を続けており、このままでは我が国の医療提供体制の崩壊が避けられない状況にある。このような中、国は、持続可能な医療提供体制を構築するため、大きな医療改革に踏み出した。大きな改革であるから、地域医療の現場にも、地域住民にとっても、痛み分けは避けられないが、我が国の将来につけ回しをしないうえで、やむを得ない選択ではあろう(以下略、ここまで設立趣意書から引用)。」

ここに述べたような文脈、痛み分けを前提としたうえで、身の丈に合った落としどころを探る、という構えは、われわれに限定的な姿勢ではないだろう。

子や孫やそのまた子供たちに、「この国に生まれてよかった」と思ってもらえるような日本を残したい、なんとか持続可能な医療体制を残したいと思う多くの人々、われわれ医療者のみならず、多くの学者、厚生労働省・都道府県の医療部局担当者、少なからぬ国会議員などが、共有する思いであると信ずる。

だが、ここに少数の例外的な人々がいる。公的医療制度は崩壊してもしかたがない。むしろ医療が崩壊すれば「口減らし」になる。そう考えているとしか思えない少数の人々がいる。

去る630日に「骨太の方針2015」(以下「方針」と略す)が閣議決定された。このたびの「方針」はこれまでにもまして、新自由主義、市場原理主義の立場を鮮明にしている。これらの主義の正当性は「トリクルダウン理論」と「リカードの国際分業理論(比較優位理論)」に依拠しているが、「方針」の随所にこれらの理論に則ったレトリックが展開されている。しかし、これらの理論はいずれも国民・大衆を欺くための大嘘であることはすでに定説である。「勝ち組のおこぼれは滴り落ちない。勝ち組は勝ち逃げをする」ということはレーガノミクス、小泉改革がもたらした格差社会によって証明されている。

「国際分業理論」、それぞれの国は、自由貿易体制のもと、最も得意な生産分野、付加価値生産性(GDPへの寄与度)が高い分野に選択と集中すべし。そうすれば関係国皆が得する。日本は米作りなんかやめて、自動車を作るのが得策、という理論である。この理論の成立する条件として、関係国で完全雇用が達成されている、輸送コストはゼロと仮定する、環境問題、国際紛争はないものとする、など多くの仮定が前提とされ、実際にはありえない理論上の仮説である。

「方針」はこのような政治的立場に立脚しているのであるから、医療・介護分野についての言及もむべなるかな。

「方針」曰く、「国の社会保障給付を圧縮すれば、個人や企業の保険料の負担が軽減されることで、消費や投資の活性化につながる」「医療・介護の分野で民間企業のシェアが上がれば、課税ベースが拡大する」等々。ここに「国民のための医療」という視点はない。PBの黒字化という大目標に向け、最大の歳出要素である社会保障の公的負担を大幅削減し、その削減部分をマーケットとして営利企業に提供しようという、それ以上でも以下でもない冷酷な社会保障破壊政策である。まさに「シッコ」に描かれた米国の悲惨な医療システムを我が国にもたらそうとするものだ。

「方針」はいう。「経済再生なくして、財政健全化なし」。それはそうであろう。しかし、経済再生の戦略として、市場原理主義を医療に持ち込むのは、間違いである。

別の経済再生戦略がある。社会保障を充実させ、病気、老後、失業の不安が除かれれば、1500兆円の個人貯蓄がフローに回るという賢明で温かい戦略もある。「積極的社会保障政策こそ確実な景気対策であり成長政策である(権丈善一)」

今秋にかけて、各府省で来年度予算編成作業が行われるが、各府省にはこの「骨太の方針」を反映することが求められており、各府省の主体的裁量は蹂躙されている。

「少人数の御用学者からなる諮問会議で国政を牛耳るやり方はヒットラーである」とは故宇沢弘文氏が小泉政権の強引なやり方を強く批判したものだが、第二次安倍政権においても、この官邸主導手法がしっかり引き継がれ、ますます狂暴化している。痛み分けはやむを得ないと思うが、それが、一部の富裕層への富の移し替えにつながるものであるなら、堪ったものではない。医療者は団結して戦うべきだ。


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# by ohchi-ishihara | 2015-08-26 13:54

国が着手した「医療制度改革」は重要な施策と思うが、きわめて不安でもある

平成26年度、国は、脱経済成長社会、高齢化社会の到来を踏まえ、医療提供体制を持続可能なものにするため、大きな医療制度改革に着手しました。そのキーワードは「地域医療ビジョンの策定と「地域包括ケア」です

我が国の総医療費は37.8兆円(H23年度)、それがさらに毎年1兆円近く増加し続けています。医療費膨張の主要因は、高齢者人口の急増、医療の高度化、医療の需要量と提供量ミスマッチとされています。「地域医療ビジョン策定/地域包括ケア」はこのミスマッチを解消し、効率化(医療費削減)を図ろうというものです。縮みゆく経済のもとでも持続可能な医療提供体制が確立されるよう、われわれ医療関係者も汗を流さなければならないと考えています。しかし、この医療改革には大きな不安要因もあります。

社会保障審議会医療部会(H25年12月27日)は医療法改正にむけた意見として「地域医療ビジョンについては、二次医療圏等ごとに、各医療機能の将来の必要量等を含む地域の医療提供体制の将来の姿を示すものとする」「2025年の医療圏ごとの医療機能別の必要量予測にもとづいて医療提供体制整備を目指す」と取りまとめています。各医療機能別の将来の必要量は、各医療圏の将来の人口ピラミッドに規定されると考えられます。

筆者が居住する島根県邑南町は中国山地の山あいの人口1万2千、高齢化率41%の町です。現在の人口ピラミッドは75~80歳で最大幅を示す尻すぼみ型です。つまり後期高齢者数もすでにピークを越え、全年齢層において人口が減少局面にあります。わが町の人口はこの5年間に10%減少しました。多くの田舎の自治体はみな似たような状況でしょう。地域医療ビジョン政策を全国一律に推進すれば、このような田舎においては、10年先、20年先の人口減少を先取りする形で、実需要の減少に先んじて医療機能を縮小させてゆくことになります。医療機能の縮小は、医療崩壊に拍車をかけ、暮らしの不安につながり、ますます人口が流出するという悪循環を形成し、第一次産業を支えてきた地方がさらに衰退に向かうことになりましょう。

わが邑南町では、「日本一の子育て村構想」を施策の最重要課題に掲げ、人口ピラミッドの健全化に懸命の努力が行われてきました。その結果、「合計特殊出生率(一人の女性が生涯に産むこどもの数)」が2.65と全国トップレベルに達し、このことは全国メデイアで何度も紹介されました。その結果、子育て世代のU、Iターンが年々増加しています。平成25年度には人口社会動態(転入者―転出者)がプラスに転じて20人の社会増となりました。   
このように全国の多くの田舎自治体で、人口減少を食い止めるため懸命の努力が続けられています。10年後、20年後の人口予測を仕方のないことと受け止め、それを前提として地域医療ビジョンを描けば、このような地域の努力は水泡に帰すことになりかねません。  

一方首都圏では、2025年に向けて、後期高齢者人口が数百万人単位で爆発的に増加し、その後も2053年まで増加が続きます。医療難民、介護難民が大量にあふれることも大きな問題ですが、同時に、首都圏に医療職、介護職の膨大なニーズが発生し、地方でのこれら職種の人材確保が極めて困難になる、あるいは首都圏に吸収されてゆくことが懸念されます。田舎では医療、介護は大きな雇用を生み出すメジャーな職種ですから、これらの人材が首都圏に奪われるということは、田舎の若者人口流出に拍車がかかるということになります。

さて、我が国では今後急速に人口が減少し続け、このまま何もしなければ50年後には3分の2、100年後には3分の1に減少すると予測されています。「合計特殊出生率」の人口維持ラインは2.07とされていますが、日本全体の直近値は1.41と深刻です。一般に田舎ほど高く、わが邑南町は2.65、東京が1.09で最低です。日本一子供を産み育てることが困難な東京に若者を集め続けてきたことが、我が国の人口減少問題の病根です。

このことは、日本創成会議人口問題検討分科会のレポートでも(増田寛也座長、昨年5月8日)「日本の人口減少は「まったなし」の状態、このままなにもしなければ2040年には523の自治体が消滅の危機に瀕する」と警鐘し、対策を提案しています。また、同年5月14日には政府の経済財政諮問会議もほぼ同様の見解を報道発表しました。そして対策の一つとして創生会議も経済財政諮問会議も一様に「首都圏から地方へと若者の流れを変えることが必要」としています。しかしその具体戦略への言及は不十分です。
とるべき戦略は「農林水産業への選択と集中」しかないと私は思います。これにより、田舎に雇用が生まれ、子育て環境の良い田舎に若者が逆流することで、人口問題が改善に向かいます。また、これにより、食料自給率/エネルギー自給率(国家安全保障の最重要課題)が改善に向かいます。
医療制度の改革にあたっては、ここに述べたような国の最重要課題にどう対処すべきかという総合的視点(あるべき日本の姿)の中で考えるべきで、決して人口問題や食糧自給率改善の足を引っ張ることのないよう願うものです。
       (全国自治体病院協議会雑誌53巻8号33頁~、2014)
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# by ohchi-ishihara | 2015-02-18 12:45 | 医療時事

そば喰いの哲学

 私はソバが好きです。全国どこへ出張しても、遊びに行っても、「まじめな蕎麦屋」はないか、と周辺をウロウロしてしまいます。さすがにうどん文化が席巻する四国では探しませんが・・。
 というわけで、ソバについての自説を少々披瀝したいと思います。次回めしあがるソバの味わいが僅かでも深まれば、望外の喜びというものです。
 「そば喰いの哲学」というタイトルは、故 石川文康先生の名著「そば打ちの哲学(ちくま文庫、2013年)」にあやからせてもらいました。

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行きつけの蕎麦屋に出かけるときも心弾むものがあるが、見知らぬ土地で、ウロウロ探し回った挙句に、あるいは通りがかりに偶然、まじめそうな蕎麦屋を見つけたときは心がときめく。
 いかにも蕎麦屋にふさわしい和風の瀟洒な佇まい、玄関は打ち水され、きれいに洗濯された暖簾に、屋号のほかには「手打ちそば」とだけ書かれている。店内に入ると、粉ひき場や打ち場はどこにあるのだろうと一渡り見まわす。ジャズや和風の寂びた調べなどが控えめに流れているのは好ましい。BGMなどなくて、せせらぎの音や、野鳥のさえずりなどが聞こえてくるのはさらによい。テレビは無用だ。店内の装飾は簡素なのがよい。一輪刺しの可憐な花がさりげなく窓際などに置かれているのは素敵だ。すでに食事中の先客があれば、そしてその客が食べているのが「ざるソバ」であれば、どんなソバかとつい盗み見てしまう。そして、おもむろにうながされた席に着く。厨房に目をやり、店主の項が清潔に刈り上げられ、糊のきいた真っ白な着衣を纏っているのが目に留まれば嬉しくなってしまう。
 このあたりですでに、この蕎麦屋が「あたり」か「はずれ」かほぼ解ってしまう。はずれだ!と気づいても、いまさら店から出るのはどうにも気まずいから、しぶしぶ口に合わないソバを食べる羽目になる。ところが、店内の雰囲気から「はずれ」という印象だったのに反して、予想外にうまいソバを供されたりすることもあって、うーん、修業が足りんなあ、と反省することもある。

 席につくとメニューとそば茶が運ばれてくる。「やはりそば茶だ」と安堵する。注文するのはざるソバ(もりソバ)に決まっているから、メニューでチェックするのは、ざるソバの内容だけである。メニューはざるソバが主役で、あとはシンプルであるほど好ましい。禁忌は「うどん」だ。うどんもソバも同じ釜で茹でて出す店は論外だ。うどん屋はうどん屋、蕎麦屋は蕎麦屋でなければいけない。

 さて、メニューに、単に「ざるソバ」と記載があれば迷わずそれを一枚所望する。一方、「ざるソバ」の項に何種類か書かれていればじっくり読む。更科(一番粉)、全粒粉、挽きぐるみ(殻ごと挽いた粉)のいずれであるか、二八か生粉打ち(十割)かなど。それにソバの実の産地が書かれている場合もある。後者の場合も基本的にあまり迷わない。私の好みは、粗挽きの全粒粉(一番粉、二番粉、三番粉のブレンド)を二八(小麦粉2割、そば粉8割)で打ったもの、それもできれば地元産の実で、というものである。
 メニューに十割がある場合は、二枚目以降に所望する。十割ソバは、味、香りが強く、コシは弱めだ。二八はその逆である。通常、一枚目を食べるときは腹が減っているから、味や香りに敏感なので、二八で十分味わい深い。むしろ、一枚目は、コシやのど越しを楽しみながら一気に啜り込みたいのである。逆に、先に十割を食べてしまうと、その後で食べる二八は淡泊すぎて物足りない。
 そのことに加え、二八のほうを先に食べるもう一つの理由がある。まじめな蕎麦屋であれば、二八ソバに「はずれ」は少ない。しかし、十割ソバは出来不出来のムラがあって、同じ店の、同じ大将の手によるソバでも、「あれっ、今日のはちょっと・・」ということがままあるのだ。だから、一枚目は「はずれ」の確率の低い二八を頼むのである。

 まじめな雰囲気のただよう蕎麦屋であれば、期待を膨らませながら待つ間も楽しいものだ。待つことしばし、私の前にソバつゆと薬味が置かれる。まじめな蕎麦屋は薬味も美しい。美しいわさびやネギはうまいソバに不可欠だ。店によっては、わさびとサメ革のおろし板が差し出され、自分で擦るというのがある。筆をとる前に墨を擦りながら心を鎮めるに似て、待つ時間を有意義にしてくれる。新鮮なネギを、鋭利に研ぎあげた包丁で手際よく仕上たことをうかがわせるその美しさも、ソバへの期待感を高める。また、ソバ猪口にも店主のこだわりがあるもので、そのこだわりに思いを寄せるのも楽しい。その猪口に箸先を浸して、つゆを一滴舐めてみる。舐めたつゆに感動があれば、そのあと来るべきソバへの期待もさらに一層膨らむ。こうして主役(ソバ)の登場を待つ間に、脇役たちによる様々な演出によって、私のテンションは次第に高揚していくのである。だから脇役といえども、それらのどこかに手抜きを感じれば、気持ちが少なからず萎えてしまうのだ。

 ソバと薬味やつゆを同時に供さないのは、おそらく茹で上げたソバをすかさず冷水で絞め、絞まるや否や一切他の工程を省いて、ただちに客のもとへ運ぶためであろう。であるから、客の側も、運ばれて来るや否やただちに食べ始め、ソバが伸び始める前に食べ終わるよう努めるべきではある。しかし、私の場合、その前に5秒ほど鑑賞するための時間が要るのである。ソバが眼前に置かれたら、まず居住まいを正し、坐っている席が畳の場合であれば、胡坐を正座に整え、5秒間ほど鑑賞する。見た目の美しさは、ソバの重要な要素だ。ムラのない太さ(太さのムラは茹でムラにつながる)と長さ(ソバ八寸といわれ24cmに揃っているのがよい)。粗挽き独特のざらつきのある光沢とツヤ。のっぺりではない適度な縮れ。エッジの効いた角。そして、手抜きのない盛り付け。これらすべてが合わさって醸し出される美しさを5秒だけ鑑賞するのは、ソバを味わうことの重要な一部なのである。これから喰うことになるソバの味は、見た目でほぼ予測できる。

 まず、つゆを着けずに一口だけ食べてみる。そして味、香り、コシをゆっくり確かめる。そして見た目で予想したとおりであることに納得する。あとは伸び始める前に、急いで食べきらなければならない。連れがいても食べ終わるまでしゃべるのは論外だ。箸でつまんだ一口分の下三分の一ほどをつゆにつけ、一気にずるずるっと啜りこむ。このとき「ソバ八寸」であることが重要な意味を持つ。

 標準的な肺活量の成人が、無理なく啜り込むことができるという点で、24cmという長さは絶妙なのだ。これ以上長ければ途中で噛み切るか、あるいは讃岐うどん(時に70cmのものもある)流に、咬まずに飲み込むしかない。讃岐うどんは「喉で喰う」というからそれでよいのだろうが、ソバの場合は咬んでの味わいも不可欠なのだ。ならば啜らなければよいかといえば、それは絶対にダメなのである。「音を立てて啜る」ことで乱気流が生じ、つゆが麺に絡んで馴染むのである。さらに、ソバを啜り込む吸気が鼻腔へも拡散し、味と同時に、香りも広がるのである。

 こうして一気に食べ終わった、まさにそのタイミングで熱いソバ湯を供されると、本当にうれしい。いっぱしのソバ通と認めてくれているような気がするのだ。

 おそらく、まじめな蕎麦屋は、しょっちゅう箸を止めては、おしゃべりしながら30分もかけてだらだらと、伸びたソバでも平気で食べるいい加減な客たちをもてなしながら、一方で、いっぱしのソバ通が来てくれるのを密かに心待ちにしているに違いない。
 店主は厨房で茹でたり盛ったりに集中しながらも、暖簾をくぐって入ってくる客の気配をそれとなく感じとっているのだ。おっ、この客は店に入るなり店内をゆっくり見渡している、おっ、石臼に目をとめたなこいつ、注文はメニューも見ずに「ざる一枚」か、などと、厨房で忙しくしながらも、伝わる気配から客の品定めをしているのである。客がソバを食べ始めると、ずるずるっというまじめなソバ喰いの音も聞こえてくる。この客は、わしがまじめに打ったソバをまじめに食っている。店主はそう思っているのではないか・・。ソバ湯を供されるタイミングが絶妙であると、つい勝手にそういう風に感じてしまうのである。そのソバ湯が熱く、程よいとろみを持っていれば、なおさらである。
 相当まじめな蕎麦屋でも、忙しい昼時など、店主の気配りがソバ湯にまでまわらないこともある。つい女将さんや店員任せにされたソバ湯が、食べている最中に運ばれたり、冷めかけていたりすることがある。これには相当がっかりする。折角まじめに打たれたおいしいソバも台無しだ。

 私の評価尺度によれば、「まじめな蕎麦屋」の上に、「良い蕎麦屋」というのがある。引き立て、打ち立て、茹で立ての全行程および、ソバつゆ、薬味、器、これらすべてに込められた気合が伝わってくるのがまじめな蕎麦屋だ。一方、良い蕎麦屋とはなにか。それは女将さんや店員が店主の打つソバに誇りを持ち、気合を共有していると感じさせる蕎麦屋である。

 ある行きつけの蕎麦屋がいつになく立て込んでいたときのことだ。気のいいおばさんの店員が私に供されるべきソバを私のもとへ運んでいる。と、その途中で、別の客がそのおばさんを呼び止めた。するとなんと、あろうことか、おばさんは、私のためのソバを持ったまま立ち話を始めたのである。「ああっ、ああっ、伸びてしまうではないか」。私は気が気ではなかった。案の定、私の前に置かれたソバは少し緩んでしまっていた。

 別の、初めて入った店でのこと。客が、メニューに書かれた「生粉打ち(きこうち)」というのはなにか、と女将らしき店員に聞いたのだ。するとその店員は「それは大将に聞かないとわからないけど、大将は今手が離せなくて・・」などという。店員がメニューに書かれたことも説明できないのでは、どんなうまいソバを供されても、がっかりだ。これらはむろん、「良い蕎麦屋」ではない。

 では「良い蕎麦屋」とはいかようなものか。
 旅先で、偶然見つけたまじめそうな蕎麦屋に入った。畑の中の古民家風のすばらしい佇まいの店だ。メニューには「二八」と「十割」があって、どちらにしようか少し迷っていると、三十過ぎのかわいらしい女将が「私はうちの十割が大好きです。十割なのに宅のはコシもあるんですよ」と勧めるのだ。亭主が打つソバに対する誇りを通り越して、まぶしいほどの夫婦愛がこぼれ落ちている。この十割ソバは確かに絶品であった。拙宅からは何時間もかかる遠方だが、その後も何度も通っている。もちろんそのソバを食べに通うのだ。女将に会いに行くのではない。

 こんないい話もある。この店もずいぶん遠いのだが、九州方面に出かけるときはその途中なので、店が開いている時間帯なら必ず寄り道をしていく。というよりも、開店している時間帯にそのあたりを通るよう旅程を計画するのである。供されるのは、私の愛する全粒粉で打った粗挽きソバだ。美しく、味わいの深いソバだ。だがこの店で素晴らしいのはソバだけではない。つゆが只者ではないのである。私が食べた蕎麦屋の中で、つゆの旨さは一番かもしれない。口数の少ない、決して愛想のよいとはいえない女将に「つゆが絶品ですなあ」と話しかけると、途端に顔がほころんで「つゆは私に任せてもらってるんです。枕崎の鰹節を粗く削って・・・、醤油は柳井の〇〇さんから・・・それらを合わせて・・湯煎したあと一晩寝かせて・・」と熱心な説明がはじまった。つゆに懸ける気合と手間と、素材の贅沢さを聞けば、このつゆの旨さもさもありなんと納得がいくのであった。当然、女将のつゆと店主の打つそばとの相性はすばらしく、遠方であるのに、その後何度も暖簾をくぐることになるのである。当然この店は「良い蕎麦屋」、「すばらしく良い蕎麦屋」の範疇に入るのである。

 話をもとに戻そう。
 まじめな蕎麦屋は、多くのいい加減な客をもてなしながらも、いっぱしのソバ通が来てくれるのを密かに心待ちにしているに違いない、という話のつづきである。
 さて私は、まじめに打たれたソバをずるずるっと軽快な音をたてながら、まじめに食べ終わった。タイミングよく出された湯気の立ち上る熱いソバ湯をいただきながら、店員を呼び止め、わざと少し大きめの声で「ざるをもう一枚ください」という。と・・その時だ。店主が少しだけ暖簾をめくって、ちらっとこちらを一瞬、見た。やはりそうだ。客の品定めをしている。いっぱしのソバ通か?を伺っているのだ。

 やがて二枚目が運ばれてくる。いつも不思議に思うのだが、一枚目よりも二枚目の方が、美味いのだ。見た目も、より美しいことが多い。このことについての私の解釈はこうだ。この客の、入店時からこの時点までのふるまいから、店主は「これはソバにうるさい客のようだ、もう少し気合をいれるか・・」と茹で加減や盛り付けに一層まじめな配慮がなされるのではないかという解釈である。

 多くの場合、まじめな蕎麦屋には「大盛り」というメニューがない。あっても、例えば私の行きつけのある店では、大盛りを頼むと、まず「並み盛り」が出され、それを食べ終わる頃に小皿に盛った残りが供される、という具合だ。むろん、伸びないうちに食べて欲しい故の小細工なのだ。同じ理由から、まじめな蕎麦屋のざるソバは往々にして盛りが少なめである。なので、三枚目はおろか腹具合によっては四枚目を食べることもさほど無理なことではない。もちろん、美味ければの話だが。

 さて、私は一枚目と同様に、休む間もなくまじめに二枚目を食べ終わった。そして店員を呼び止めてこう言ったのだ。「ざるをもう一枚頼みます」。でも、さきほどとは違って声の大きさはふつうである。今度は店主は十分に聞き耳を立てているに違いないからである。店主は「二枚目を食べ終わったな、さあて、三枚目・・とくるかな」と構えていたのである。その証拠に、私が「ざるをもう一枚」といったとたん、ついに店主は暖簾をはらって出てきたのである。そして「ありがとうございます。お口に会いましたか」とこうおっしゃるではないか。
 こうなるともう、なんというか、まじめな蕎麦屋とまじめなソバ喰いとのすばらしい出会いの成立なのである。三枚目を頼む「ざるをもう一枚」の一声は、少し大げさかもしれないが、片思いの女性に「好きだ」というに似ている。要するに「告白」である。私は店主のソバに負けました。好きです。というのと同義であるのだ。だから店主は厨房から出てきたのである。「ざるをもう一枚」の声を聞いた店主の喜びと、店主を暖簾のこちらへ引き出した客の喜びが、通う瞬間である。こうしてまた、なじみの蕎麦屋ができるのである。

 店主とのこういうやりとりこそ、まじめな蕎麦屋の大きな楽しみである。であるから、はやりすぎている店や時間帯は敬遠することになる。折角みつけたすばらしい「良い蕎麦屋」が、あまりに暇そうであるのも不安で気をもむものだが、逆に、次第に評判がひろがり、玄関前で記名して待たされるほど繁盛するようになると、「好きだ」という思いも急速に冷めてしまうのである。
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                                        平成26年8月
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# by ohchi-ishihara | 2014-08-25 12:55 | 院長便り

「地域医療ビジョン/地域包括ケアシステム」は「地域医療再生」にどう影響するか

国は、脱経済成長社会、高齢化社会の到来を踏まえ、医療提供体制を持続可能なものにするため、医療制度改革、医療法改正に着手している。そのキーワードは「地域医療ビジョンの策定」と「地域包括ケア」であろう。

我が国の総医療費は37.8兆円(H23年度)、それがさらに毎年1兆円近く増加し続けている。医療費膨張の主要因は、高齢者人口の急増、医療の高度化、医療の需要と提供量のミスマッチとされている。「地域医療ビジョン策定/地域包括ケア」が軌道に乗れば、このミスマッチを解消に向かわせ、医療の効率化(医療費削減)に効果をあげるだろう。縮みゆく経済のもとでも持続可能な医療提供体制が確立されるよう、われわれ医療関係者も汗を流さなければならない。

しかし、この医療改革には大きな不安要因もある。「医療提供量を需要量に適合させよう」という理屈の背景には「供給誘発需要仮説」があるだろうが、その視点が強すぎないことが重要だ。さもなくば、「提供量削減」が自己目的化し、「適合」を大きく超えて削減されることで、地域医療がますます崩壊に向かうことになりかねない。

社会保障審議会医療部会(H25年12月27日)は医療法改正にむけた意見として
「地域医療ビジョンについては、二次医療圏等ごとに、各医療機能の将来の必要量等を含む地域の医療提供体制の将来の姿を示すものとする」と取りまとめている。

・各医療機能の将来の必要量は、各医療圏の将来の人口ピラミッドに規定されるだろう。そして、地域ごとの将来の人口ピラミッドは、今後の国の舵とりいかんに大きく左右されることになる。

・市場原理主義(グローバル資本主義)のもと、新たな輸出型成長産業への選択と集中というシナリオに固執するなら、地方の過疎化は止まらない。人口減少に伴い、医療ニーズも縮小していくから、地方の医療機能も縮小させてゆくことになる。医療機能の縮小は、暮らしの不安につながり、ますます人口が流出するという悪循環を形成し、第一次産業を支えてきた地方がさらに衰退に向かうことになろう。

・市場原理主義(グローバル資本主義)は、それがもたらすグローバルリスク(食料危機、エネルギー危機、金融危機、地球環境破壊、貧富格差の拡大など:世界経済フォーラム2012)によって、人類を災厄に導くから、それとは逆のシナリオを選択するという賢明な舵とりもある。

・食料自給、エネルギー自給を最も重要な国家安全保障課題と位置付け、農林水産業の振興、地産地消/国産国消、関税自主権を重視するシナリオが選択されるならば、地方に大きな雇用が生まれる。大都市から地方への人口移動がおこる。一般に、大都市部よりも地方の方が子育て環境が整っており、合計特殊出生率が高い(東京1.03、島根県邑南町2.06)から、地方の生産年齢人口が増えれば、それ以上に出生数が上がることになる。この場合、人口ピラミッドは、現時点での将来予測(国立社会保障人口問題研究所)と大きく異なるものになるだろう。

・わが町をはじめ、全国の過疎地域では、将来の人口ピラミッドの健全化のため、懸命の努力が続けられている。10年後、20年後の人口予測を仕方のないことと受け止め、それを前提としてビジョンを描けば、このような地域の努力は水泡に帰す。地域、および国家の人口ピラミッドのありようは、地域や国の興亡を左右するが、同時にまた、それは国の舵とり次第で、何とかできる課題でもある。

医療制度改革は「国のかたち」の選択に密接にかかわるのである。
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# by ohchi-ishihara | 2014-03-03 15:50 | 医療時事

この美しい国土を子孫に残そう

  あおあおと育ち行く稲穂が猛暑の田園を濃い緑に染め上げています。このたおやかな風景がいつまで続いてもらえるものやら・・。ついにTPP参加交渉が始まってしまいました。

  6月28日、新潟市で開かれた日本病院学会で講演をしてきました。講演の趣旨は、「日本中いたるところで、外科系の医師や田舎の病院の医師不足が深刻で、医療崩壊が好転しない。国はその解決に責務を果たせ。」というものです。「学校教員、警察官、消防吏員などは行政の責任で全国津々浦々に配備されているではないか。医療は教育や公安よりも軽いというのか・・」と叫んできました。

  私は国に対し、医療基本法を策定し、その中に「医師計画配置」「医療財源の在り方」を謳いこむことを求めています。これにより政権交代があっても、ゆさぶられない医療体制が担保されます。しかし、押し寄せるグローバル化の波が大きくなるにつれ、政権は少なからず、医療などの非営利分野には冷淡になりがちです。それどころか医療を営利産業化し経済成長の目玉にしようなどいう暴論さえ出てきました。医療に市場原理を持ち込めば地域の医療が崩壊することはすでに証明済みなのに、です。医療で儲けようというのは筋違いです。「人々の暮らしがあるかぎり、その地域社会の医療や教育を守る」というのが国の責務です。

  グローバル化の勢いが止まりません。先進国や新興国は、地球上にわずかに残った未開拓の市場や資源に群がり、国家エゴむき出しの争奪戦を展開しています。「乗り遅れるな」という空気は日本でも支配的です。地球全体を束ねる法律も警察もありませんから、誰もグローバル化を統御することはできません。争奪戦は無政府状態です。この流れが放置されれば、弱肉強食、貧富格差拡大、金融危機、食糧危機、エネルギー危機、環境汚染、国際治安悪化などのグローバルリスクが増大し、人類に未来はありません。子孫に少しでもましな地球社会を残そうというなら、それぞれの国民国家がとるべき道は内向化です。地産地消、国産国消、地域内完結、自国内完結を基礎に置いた国造りです。交易はそれらの基礎が担保された上でのプラスαです。

  d0132664_15514972.jpg我が国がTPPやFTAに躍起になっているとき、すでにフランスや北欧では「持続可能な地域社会(サステイナブルコミュニテイ)」をキーワードにした、脱グローバル化の潮流が動き見せています。我が国こそ率先して「足るを知る大人の国家」へと脱皮し、世界に範を垂れてほしいと切に願います。
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# by ohchi-ishihara | 2013-09-05 15:55 | 医療時事

故郷の山に向かひて 言ふこと・・・あり

  私の生まれ在所は島根県邑智郡日貫村(おおちぐんひぬいむら)といった。今は邑南町(おおなんちょう)の一部である。この新町名が私にはしっくり来ない。先の平成の大合併ではこういう類の没主体的な自治体名が全国で大量に生産された。実に悲しいことである。なんとか郡の南の方・・とか、有名な都市の東隣の町・・とか、ひどいのは四国の真ん中辺などなど、このような安直な命名では地域の先人に対して申し訳が立たないというものである。
  そもそも一人の人間にとって、生まれ在所の市町村は母の胎ともいうべき出自の大源である。従って、その命名にあたっては元号名を制定するが如き厳粛さと深い考証をもって為されよかしと思うのだ。
  本来「地名」や「山名」の多くは地域社会の風土と歴史に根差していた。たとえば、わが邑智郡や日貫村などという地名の由来を探れば古くからの由緒に訪ね当たるのである。生まれ落ちた地域社会にまつわるこれらの由緒は、一人の人間のアイデンテイテイの一部をなす。然様なればこそ地名は徒や疎かに扱ってはならない。

  深田久弥は名著「日本百名山」の中で、いくつかの山の名前についての、現代人の疎かな扱いを嘆いている。たとえば飛騨山脈(北アルプスと呼ぶ輩がいる)の白馬岳。この山名は、春、山腹に代掻き馬の雪形が現れるのを見て、麓の百姓が田起こし作業の時節を知ったことに由来する。すなわち代馬(しろうま)、これが転じての白馬なのだから、その読みは「しろうま」であって「はくば」でよいはずがない。それが今や、ふもとの地名まで「白馬(はくば)町」である。「観光で訪れるお嬢さんたちの受けを狙ったのだろう・・」とは深田先生の歎息である。

  また赤石山脈(南アルプスと呼ぶ輩がいる)の北部に白峰三山という連峰がある。三山いずれも三千メートルを超える名峰であるが、その名がひどい。一番北が北岳で、間にあるのが間ノ岳(あいのたけ)、このぶんでいくと南の農鳥岳(のとりだけ)は危うく南岳と命名されてしまうところであった。
  その難を免れ得たのは、この山だけが甲府盆地からよく見え、昔から里人の心の中に息づいて在ったからであろう。他の二山は前山にじゃまされて片鱗しか見えない。そのぶん、里人にとっての存在感は薄く、無名の時代が長かったのだろう。盆地からよく見えるその峰には、春、その東斜面に白鳥の形の残雪が現れる。それが農鳥岳の名の由来だという。待て待て、この話はちょっとおかしいぞ、と山好き人や、甲州人なら気づくだろう。実は盆地から一番よく見えているのは間ノ岳であって、農鳥岳は稜線の片鱗が見える程度なのだ。然り、明治期までは、農鳥岳とは現在の間の岳のことだったのだそうだ。

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 (↑:甲府盆地から夜叉人峠越しに聳える間ノ岳。左の農鳥岳、右の北岳は少ししか見えない)

 このように、地名山名は地域社会、人間社会との長いかかわりの歴史の中から生れ出たものであり、人里から遠く離れた、人間の暮らしにかかわりのないところには由緒正しい地名も山名も生ずるはずはなく、畢竟、現代になって地理学の要請からやっつけ仕事の命名がなされた場合が少なくないのであろう。

  話を旧日貫村に戻そう。
  日貫村は山あいのすり鉢の底のような狭い盆地である。生家は盆地の北側斜面にあって、縁側から南をみると、村の中心部のささやかな街並みや小学校、お寺、城山などが眺められ、それらの東よりの一番奥に、盆地周囲中の最高峰が美しく気高く聳えている。なにしろすり鉢の底から見上げるのだから、さほどの標高もないのに、まさに「聳えている」のである。私は、この山が盆地に向かって放つオーラを感じながら少年期をすごした。長じて後も、この山を仰ぐときはいつも、「故郷の山に向かひて言ふことなし。故郷の山はありがたきかな・・」という啄木の歌が心に浮かぶ。

  ところが、なんということであろう。実はこの山には名前がないのである。物心ついた頃から、この山の名がとても気になっていて、多くの人に尋ねた。父や村の長老や和尚さんや、麓の集落(鉄穴が原、大鹿山、東屋)から通う級友たちにも何度も尋ねたが、知る者はなかった。「栃山(とちやま)というのではないか」という者があったが、それはこの無名峰と城山の中間にある山のことだ。
  若いころ登山を始めたので、国土地理院発行の地図に馴染むようになった。当然、日貫やこの山域を含む地図も改定の折に時々入手した。そして都度この無名峰を検証すると案の定、山名は記されていない。日貫盆地を囲む山々の中では抜きん出て高いのに、である。この峰の、密に混んだ同心円状の等高線を中心に向けてたどると、その頂上は海抜800~820mと読める。なんだ800かというなかれ。盆地の底は200mに満たないから比高は600m以上である。なんだ600かよというなかれ。日貫に来て、実際に仰ぎ見ればその気高さに気づくはずだ。
  標高2位の松原山716m、をはじめ、烏子山654m、横宇津山621mと、600m以上の山にはすべて山名が記されている。それなのに、最高峰が無記名のままというのは、どういうことか。おそらく、この山が少しく奥まっているため、里人の入山が少なく、古来、集落とのかかわりが希薄だったからではないだろうか。
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 (↑:旧日貫村中心部:左寄りの奥に無名峰。その右手前にに栃山、城山と続く)

  最近この無名峰の東側山麓で造林が始まったのが県道(吉原あたり)から見える。えらいことだ。人間が本格的に山域に入るようになれば、命名される日は遠くないぞ。そして、その名が国土地理院の地図にかきこまれてしまったらもう取り返しがつかない。はくば岳や北岳と同様の運命を背負うことになる。その名は断じて、南(みなみ)山だったり東南(とうなん)山などといういい加減なものであってはならない。日貫人の心の山なのである。長じて他郷にあらば「ありがたきかな・・」と思いを馳せる山なのである。おまけに私は高齢者と定義される年齢だ。急がねばならない。日貫人みなが得心し、この山にも喜んでもらえる由緒正しい命名でなければならない。早速日貫のみなさんと相談することにしよう。
                                       矢上の寓居にて 平成25年3月

<その後>
日貫の皆さんが、協議の結果を町役場を通じて国土地理院に申請し、平成27年3月、この無名峰に「栃山」と山名が記されました。
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# by ohchi-ishihara | 2013-04-01 12:35 | いわみ賛歌

三つ児の魂 百まで

  夜がすっかりふけたというのに、不思議なほど明るく透き通ったある晩のことです。家々の瓦屋根も田園も山々も、ぐるりと見渡す地平のすべてが十五夜の満月に煌々と照らし出されておりました。わしは庵の縁側で椅子に腰をかけて、好みの銘柄の吟醸酒をちびちびと舐めながら、月見としゃれ込んでおりました。
  そのうちふと気づくと、わが心は、かぐや姫やうさぎさんの餅つきなどの世界に遊んでおったのであります。こういうのって至福というほかはありません。

  ところが世の中にはあろうことか、そのお月さんへ行ってみたい、宇宙旅行がしてみたいという無粋な人種がいるそうな。その発想がわしにはどうにも理解できない。
  いやいやそれどころか、お月さんに埋蔵されているであろうレアアースを採掘し持ち帰る、そのコスパやいかになどと本気で研究している御仁がいるそうな。
  お願いだから宇宙開発なんて大それたことはやめておくれ。

  十五夜お月さんを仰ぎ見ながら、かぐや姫を思うか、レアアースを思うかという性向の相違は、いくつのころからどのように生じるのだろう。生得的なものなのか、はたまた習得的な要因に影響されてのものなのであろうか・・

  団塊の同輩諸君、もう一つこんな話はどうでしょう。わしらが小学生だったころ、2大漫画雑誌がありましたよね。ひとつは「赤胴鈴之助」「いなずま君」などを連載する「少年画報」、他の一誌が「鉄腕アトム」「鉄人28号」の「少年」です。
 「少年画報」のメインテーマは「武士道(勇気や惻隠)」だったと今は思います。一方「少年」のほうは「空想未来科学の世界」です。
  雑誌を買ってもらえる家庭は少なかったので、みんなでそれらを回し読みするのだが、少年たちの人気は明らかに二分されていて、つまり、ほとんどがどちらかの雑誌のファンであって、両方とも好きという子はまれでした。わしは下山長平作「いなずま君」が大好きで、「少年画報」にしか興味がなかった口です。
  少年期からのこういう好みの違いって、その後大人になってもずっと続くんだろうか。

  少し脱線していいですか。
  いなずま君は信州諏訪市に住む柔道少年です。忘れられない場面の一つ。

  横浜で開かれた中学生柔道大会の帰路、中央本線下り列車の中でいなずま君は筍の皮で包まれたおにぎりを取り出した。そのおにぎりを、向かいに座る5歳くらいの子がじっと凝視している。見るからにわけありの貧しそうな母子だ。いなずま君は大飯食いで万年空腹少年なのだが、その母子におむすびを全部あげてしまう。子はがつがつと、母は涙をこぼしながらそれをホホばる。
 そんなことがあった数日後のこと・・
 ランニング中の柔道部の中学生たちが、けたたましい汽笛の音に驚いて足をとめた。見ると、黒煙をあげて迫りくる列車の先に、くだんの母子が線路にうずくまっているではないか。「逃げろおっ」と叫ぶばかりの中学生たちの一団からひとり駆け出したのはいなずま君であった。
  不乱一直線に母子に駆け寄り、体当たりで線路のそとに突き飛ばした。すかさず自分も飛び跳ねたが運悪く機関車尖端の石除けが左足首をかすめた。軽傷でよかったと皆安堵したが、その夜、いなずま君は発熱と痙攣に襲われ意識を失くした。
  運び込んだ医院で医者が「破傷風だ、大急ぎで血清が要る。それは大学病院にしかない」という。(中略)松本市から血清を運ぶジープ。これを迎えんと塩尻峠へ急ぐ諏訪警察署のパトカー。双方の車がいなずま君の救命を賭して、危険な七曲りの悪路を全力疾走する。・・

  作者は、おむすびを差し出す惻隠の心や、列車の前に飛び込む勇気、すなわち武士道を熱く語って小学生の心を揺さぶりました。「少年画報」で展開されたこのような場面は、読んでいたその時の興奮もそのままにありありといくつでも思い出せる。わしの場合、「少年誌」には一つもそれがない。
  すんません、少し脱線でした。本題に戻します。

  さて今日(こんにち)、つまり、資本主義というパラダイムが大きな壁に突き当たった歴史の大転換点にある今日、この国は極めて重大な分岐点に立たされている。小さい政府か大きい政府か、競争社会か共助社会か、世界戦略か地域回帰か、TPPか地産地消/国産国消か、総論的にひっくるめると要するに、はてしない経済成長かほどほどの成熟社会(足るを知る社会)かという分岐点。好むと好まざるとにかかわらず、どちらかの道を選ぶことから逃げられないというのが今日の状況だと思う。
  いずれが正しいのかは未知です。何十年か経って遡及的に評価されるしかありません。その遡及的評価すら、評価者の歴史観によって大きく異なるのでしょうが・・。
  とりあえず正誤不明となるとその選択課題は誰かさんたちの、好き嫌いの物差しで決められてしまうことになる。誰かさんとは国のリーダーたちです。

  リーダーというのは自分の損得ではなく、最大多数の最大幸福を考え奉じるはずの人たち、すなわち自らの意思で滅私奉公する者のことですが、ここ数年、そのリーダーたる政治家や社会系人文系の知識人たちの思想の2極化が急速に顕在化し、主張がわかりやすくなっているように思います。かぐや姫派とレアアース派、あるいは少年画報派と少年派との2極化だと、わしの解釈ではそうなる。
  時代状況が大きな変動期にさしかかると、わかりやすい主張が前面に押し出されて来るのでしょう。幕末から維新にかけての「勤皇か佐幕か」みたいな。
  そして、個々のリーダーの思想がどちらの側にカテゴライズされるかは、彼らが正邪を追求した結果ということでは決してない。そうではなくて、「かぐや姫のいるお月さんと、宇宙開発対象としての月とどちらが好きか」等々の生得的性向(三つ児の魂)の帰結として、必然的にそこへ立ち至ったのである。
  ある個人の思想形成過程とはそういうものだとわしは思います。いやいや、思想というのは環境や学習によって習得的に醸成され発展する部分のほうが大きいのだよ、という見解もあろう。しかし少なくとも自分に関して言えば、嗜好にあわない環境や学習は避けてきた。みなさんもそうではないですか。価値観を異にする著者の本は読まないでしょう。嫌な奴が出演する討論番組は見ないでしょ。生まれついての好き嫌いが、その後の成長過程での、あるいは大人になってからの学習傾向、習得内容をも決めてしまうのではないだろうか。これぞ「三つ児の魂百まで」の謂いであります。

  そこで、この国のかじ取りの話にもどりますが、我が国は良かれ悪しかれ民主主義国家ですから、一般国民は投票を通じて、いずれかのリーダーに政治を付託することになる。その候補はリーダーといえる人物かを問うことは当然であるが、さらに加えて、いずれの側の思想の持ち主か、つまり「かぐや姫派か否か」ということがわしの場合非常に重要なのです。判断基準は単純で、「そいつは武士か?」と問うだけです。いえいえ・・別に深い含意はありませんです。はい。

  最後に福澤諭吉先生のおことばをひとつ・・・「この人民ありて、この政治あるなり」
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# by ohchi-ishihara | 2013-03-07 18:54 | 院長便り

一番大事なことは、今、ここにある

町内の3中学校の3年生に講演する機会をいただきました(5月27日 出羽公民館)。
こんなお話をしてみました。

みなさん、こんにちは。邑智病院の院長、石原晋といいます。今日は「人生」ということについて、一緒に考えてみましょう。「人生」「ひとの一生」ってどのくらいあるんだろう。例えば75年生きるとして、365日×75年=27,375日、この中にうるう年が18回あるから18日足して27,393日ですかね。実は、この27,393日のなかに、一日だけ、ものすごく特別な、ものすごく大事な日があるんですね。それは、いつだと思う?
それはね・・・・「今日」という日です。それが私のお話の結論です。

ここでみなさんに聞いてみたいのですが・・みなさんの将来の夢、目標、それはなんですか?だれか教えてくれますか?
 ・・・いいですいいです。こんな大事なこと、今日初めて会ったおっさんに、しかもみんなの前で教えるようなことじゃないよね。はい。胸に秘めておいてください。

 例えば、「目標:総理大臣になるぞ」という人が居たとしましょう。そこで、目標達成に向けて計画を立てなければなりません。まず15歳、高校に進学したら、そこで成績1番になる。そして18歳、東京大学の法学部に合格。22歳で財務省に入る。30歳で衆議院議員。45歳で大臣。55歳で晴れて総理大臣・・・う~ん。果たして、人生ってそういうもんだろうか? ・・・そううまく計画通りにはいかないのが人生です。
 ちなみに僕の小学生のころの夢は、お金持ちになって、生まれ故郷、日貫村と、となりの矢上町(いずれも現、邑南町)の間の道路を舗装することでした。でも、世の中は急速に発展して、僕が大人になる前に、町内のほとんどの道路はあっという間に舗装されましたし、僕がお金持ちになるということもありませんでした。そうです。計画通りにいかないのが人生なのです。あしたのことは誰にもわかりません。

 人生、計画どおりには行かない、あしたのことは誰にもわからない。これが問題なんだよね。計画通りに行くのであれば、努力のしがいもあるし、勉強する意味もわかる。
 う~ん。どうして勉強しなくてはいかんのだろう。楽しいこと、やりたいことを我慢して、どうしてつらいことをしなくてはいかんのだろうか?
 この疑問、誰もが持つよね。その答えはですね・・・今はわからないのです。ず~っとあとになってからわかるんです。一生懸命勉強するとどんないいことがあるかは、人によって全部違うから、人に聞いてもわかりません。ず~っとあとになって「一生懸命勉強してよかったな」とか「もっと勉強しておけばよかったな」としみじみわかるのです。
 ただ、ひとつ言えることがある。勉強することは、高い山に登るようなものです。高いところに登れば登るほど視野がひろがり、裾野がひろがります。そうすると、人生の目標が、自然に見えてくるのです。そして、なりたいものになれる可能性がひろがってくるのです。そうです。勉強は視野を広げ人生の可能性を広げるものなのです。
 スポーツだとわかりやすいかな。目標はよくわからないのだが、よくわからないままに、ただひたすら日々身体を鍛える。毎朝毎夕、雨の日も風の日もただひたすら走りこむ。そうするとサッカーでもバスケでも、野球でも、やりたいスポーツにであったとき、必ず役に立つ。でしょ? ただし・・僕は運動音痴だったからそう思うのかもしれないですけど・・スポーツを一生の仕事として目指すって、つまりプロのスポーツ選手になるって結構、難関だよね。大きな努力と人並みはずれた才能が必要だろうけど、それらがあれば夢がかなうというわけでもない。大きな賭けだ。
「勉強」は賭けじゃない。こつこつ積み重ねて行けば、必ずやりたい仕事が、掴み取ることのできる距離に見えてくる。
 
 「仕事」は人生の一大事です。もちろん「仕事」は「人生」のすべてではないけれど、「仕事」無くして「人生」はありません。仕事を通じて自分や家族を養うお金を得、仕事を通じて人々の役に立ち(社会貢献)、仕事を通じて人生の目標を叶える(自己実現)、それが仕事というものなのです。そしていつか、自分のやりたい仕事が見えてきたとき、そのときに自分の裾野のひろさがものをいうのです。今、勉強することの意味は、まさに、君たちの裾野を広げ、視野を広げることにあるのです。生きがいある仕事に就く、そのためには、今、目の前にあるしんどいことを、意味もわからないままに、一生懸命やることです。
 
 さて、どんな仕事がいい仕事だろうか?仕事に貴賎はあるだろうか? 明らかに貴賎は、ありますわ。君たちは、賎しい仕事をしてはいけません。賎しい仕事、それはですね、詐欺、ゆすり、たかり、ペテン師、恐喝、泥棒、強盗、ギャング、やくざなどは賎しい仕事です。それら以外のまっとうな仕事はすべて尊いです。必ずどこかで誰かに必要とされ、喜ばれている、つまり社会貢献に繋がる仕事です。そして仕事を通じて社会貢献する、それが生きがい、幸福への道です。

 さて、人生、これは一度きりです。やりなおしは無しです。一度しかない人生ですから、できるだけ後悔しないよう、一生懸命生きて、死ぬときに振り返って「やったね!」という達成感のある人生にしたいもんだよね。

 ところで、なぜ一生懸命生きなければならないのだろう? ひとの人生って、そんなに大きなもんですか。ひとの命は地球より重い??? 僕は長年救急病院で働いてきましたから、さっきまで元気だったひとが、交通事故や心臓の発作であっけなく亡くなってしまうのを毎日のように見てきました。ひとの命なんて、実は吹けば飛ぶようなはかないものなんです。

 ひと、あるいは自分の存在は、はるか悠久の時間を流れてゆく、果てしない大宇宙の広がりのなかの、一粒の砂にも満たない存在にすぎません。
 君たちは今、思春期、大人の仲間入りの入り口にさしかかっている。家族のこと、友達とのこと、将来のこと、いろいろ悩むことがあるだろう。悩んだときの特効薬を教えましょう。僕の秘伝です。悩んだときにはふるさとの山を仰ぎなさい、満天にきらめく星を仰ぎなさい、そして、大自然、大宇宙に抱かれた自分を感じながら、今、君が悩んでいることに対して「小さい小さい」とつぶやきなさい。これでほとんどOKです。僕の悩みも、僕の存在そのものも、一粒の砂以下のものなのですから。

 さて、そんなちっぽけなはかない僕たちの人生、なのに、どうして一生懸命にいきなければいけないのだろう?そもそも人生ってなんだ。君の人生ってなんだ、生まれる前はどこにいたのですか?君はなにものですか?君は死んだらどこへ行くのですか?

 確かにひとの命は、永遠の大宇宙のなかの一粒の砂粒にも満たない小さな小さな存在かもしれない。けれども、実は、君はバトン走者なのです。君のご両親から受け継いだバトンを持って、今、君の人生を走っているのです。そのバトンは、ご両親の前は、おじいさん、おばあさん、その前はひいじいさん、ひいばあさん、その前は、ひいひいじいさん、ひいひいばあさん・・・・・・・・何十万年も前のご先祖様から引き継がれたバトンなのです。そしてそのバトンを君たちがまた、君たちの子供、君たちの子孫へと伝えていくのです。その「バトン」の正体・・・わかりますか? その「バトン」とは、君を君たらしめている「DNA」です。遠い祖先から、君を経て、遠い子孫へと伝えられる果てしないバトンのつながり、その長い長い歴史の中の一瞬の一区間を君の人生が担っているのです。そして、君が君自身の命を一生懸命に生き、幸せな人生を生き、そのバトンがしっかり次の世代に伝えられていくのを、ご先祖様たちは、ふるさとの山々の精霊となり、流れる雲となり、夜空の星となり、八百万の神々となって、君のまわりにいつも居て、君を見守って居られるのです。

なぜ一生懸命に生きなければいけないのか
なぜ卑怯なことをしてはいけないのか
なぜいじめをしてはいけないのか
なぜ万引きをしてはいけないのか
なぜひとをだましてはいけないのか
それは・・・ご先祖様に申し訳が立たないからです
君のもつバトン、君に流れるDNAを汚すことだからです

確かに君の命は、一粒の砂ほどに小さくはかないものだとしても、君が持つバトン、君にながれるDNAは大宇宙そのものなのです。

日々 故郷の山を仰げ
日々 天空に浮かぶ雲を
夜毎 蒼穹の星を仰げ

そして大宇宙に胸を張れるよう、今日というかけがえのない一日を大切に生きよう
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# by ohchi-ishihara | 2011-07-05 16:55 | 講演記録

頑張ろう邑智病院!生まれ変わろう日本!

  このたびの東日本大震災は、太平洋戦争にも匹敵する大変な国難と思われます。これから長い、困難な復興、再生への道程を、国民一丸となって歩んでゆかなければなりません。直接被害を蒙らなかった西日本のわれわれも、痛みわけを担う覚悟と行動が求められましょう。
 
  これまで公立邑智病院では、医師不足による医師の疲弊や経営の悪化に苦しんできました。そして、医師の確保や、外部からの繰り入れ金を確保することが、院長の重要な業務と認識し尽力してきました。市場原理主義のもと大都市や高利潤分野に極度に集中した富と人材を地方と社会共通資本(医療福祉教育)などの分野に取り返す作業こそ使命と考えてきました。

  社会情勢は一変しました。いま邑智病院がなすべきことは、少しでも自立にむけた努力をすること、それがわれわれにできる東北への最大の支援であり、わが国の再興にむけた協力であろうと思います。うれしいことに、この4月から、超ベテランの医師2名を迎えることができ医療現場の士気が大変盛り上がっております。内科の保坂医師と外科の合田医師です。私も院長業務を削りながらすこしでも医療現場の業務にシフトしようと、老体に鞭打っております。

  それにしてもじれったいのはこの国難に対する国の舵取りです。早急になすべきことは、与野党の党首が整列し、国民に向かって土下座して「数十兆円の赤字国債の発行と、その償還財源としての増税(累進課税と消費税)」をお願いすることです。今ならみんな解ってくれます。明確な財源に裏打ちされた再興の道筋を示すことが国民の希望と国際的信頼に繋がります。
  さらに、今「右肩上がりの経済成長」を最大の価値とする舵取りから、「ほどほどの国」へと脱皮する最大のチャンスではないでしょうか。ほとんどすべての国々が経済成長を追及する現状に、もう地球環境は持ちこたえられないのは自明です。人類はやりすぎてしまったのです。原発廃止や環境保護を両立させながらの経済成長などありえません。この国難が、経済成長や富の追及を卑しみ、心の豊かさや品格を重んじる、規範国家へと脱皮するチャンスとなることを願ってやみません。
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# by ohchi-ishihara | 2011-04-28 08:47 | 院長便り

盆地の冬 その1

冠山(かんざん)
深志の山、深篠山、神守山(こうもりやま)などの呼称もあるようです
東方に聳え、盆地を見守っているようです
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京太郎山
地酒の銘柄にもなっている山名です。盆地の北に連なります。
山の向こうは日和高原。山懐をトンネルが貫通しています。
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原山
盆地を囲む山々の最高峰です
中腹を走る「原山雲海ロード」を抜ければ、中国道瑞穂IC、瑞穂ハイランドスキー場です
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# by ohchi-ishihara | 2010-12-03 16:44 | いわみ賛歌

春はまだ来ない?

野に山に、一斉に新緑が芽吹き始め、今年も心浮き立つ季節がめぐってきましたが、地域医療の春の到来はまだまだ先のことのようです。石見地方(大田市~鹿足郡)の中核病院は軒並み深刻な医師不足で、いくつかの病院では救急病院の指定が取り下げられました。
当院の常勤医師数も10人(平成20年)から、今年度は7人にまで減少してしまいました。この少ない人数で、救急医療体制を維持するために、全員一生懸命頑張っております。しかし、頑張っても頑張っても、体力気力には限界がありますから、いろいろ対策もとってきました。

①救急診療の当直医を常勤医師だけ割振るのは無理です。そこで、これまでも広島大学救命救急センターに週末の当直を応援してもらってきましたが、今年度からは、さらに一層の応援をお願いしたところ、当方の窮状を察していただき、快諾してもらうことができました。谷川攻一教授をはじめ同救命救急センターのみなさんに伏して感謝する次第です。

②平成23年度中に島根県でドクターヘリ事業が開始されます。(微力ながら私も事業立ち上げに関わってきました。)これに先立ち、本年3月18日から模擬的な事業がはじまりました。当院からの要請に応じて、県立中央病院や島根大学病院の医師がヘリコプターで重症患者を迎えにきてくれるシステムです。すでに何度かお世話になりました。昨年秋のヘリポート竣工と併せ、心強いことです。

③常勤医師数減少の中、私院長も、外来診療日を週2日から3日に増やし、救急車対応当番にも入るなど、院長としての業務をかなり削って、一兵卒として医療現場に立っております。一方、これまで週1回、阿須那診療所での外来を担当しておりましたが、医師不足のため継続困難で、今年度からは月1回の診療とならざるを得ず、阿須那地区の皆様には大変申し訳なく思っております。

いずれにせよ、今全国で吹き荒れる「医療崩壊」の嵐の最大要因が、新自由主義、市場原理主義を根幹に据えた、ここ十数年の国の舵取りにあることは間違いありません。舵取りの方向が大きく変わらない限り、医療崩壊は止まりません。今、この国の再生のための最重要課題は社会保障財源(医療、年金など)の確保です。負担増(社会保険料や消費税)は避けて通れません。与党野党を問いません。そのことを、勇気を持って公言する政治集団が政権を取ることを祈るばかりです。

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# by ohchi-ishihara | 2010-05-28 13:59 | 院長便り

新年のあいさつ

あけましておめでとうございますemoticon-0157-sun.gif

年明け早々から暗い話題で申し訳ないのですが、わが国を覆う「医療崩壊」の暗雲になかなか晴れ間が見えません。農業・水産業や医療・福祉に冷たい小泉改革以来のこの国の政策が、このような医療崩壊を招いたことはあきらかですが、政権交代で少しは改善の方向に向かうのでしょうか。大きな支持を得て発足した新政権ですが、「事業仕分け」や「予算編成」の作業をみている限り、舵取りの能力と誠意と方向性に、失望を禁じ得ません。

わが公立邑智病院では、医師不足・看護師不足から、平成18年度に50%を割り込んでいた病床利用率が、地域のご支援と職員の結束で平成20年度は73%まで回復しました。これで安定軌道に乗るかと思われたのも束の間、今年度初めには外科常勤医が不在となり、内科医も1名減となりました。これにより再び病床利用率が低迷し、60%台で推移しております。このような状況は、全国規模で蔓延する医療崩壊、勤務医不足によるものですが、その影響は、体力の弱い県西部で特に深刻です。東の大田市立病院では外科医不在となりそうです。西の津和野共存病院は経営破綻し、多額の負債を町が肩代わりして公設民営で再出発となりました。石見部のすべての中核病院の機能が大きく低下しています。もはや一病院の努力、地域毎の努力で医師確保や経営健全化を図ることは大変困難な状況になっています。

わが国はこの10年ほどの間に、医療・福祉関連予算(対GDP比)が先進国中で最下位グループという低福祉国家になってしまいました。せめて中福祉の国々(イタリア、スペインなど)なみの予算配分の方向へ舵を切らなければ、国民の安心が破綻してしまいます。私たちは、そのことを住民運動から国民運動へと盛りあげてゆくことが今大変重要だと思います。

邑智病院は、邑智郡内唯一の救急病院、急性期病院です。邑智郡の暮らしの安心安全のために、絶対に存続し続けなければなりません。この苦しい時代状況を乗り越え、生き残ってゆくためには、地域の皆様のご支援が欠かせません。私たち病院職員も地域住民です。地域の皆様と一丸となって、世論を盛り上げ、また、国政に発信してゆきたいと思います。
引き続きご指導、ご支援をよろしくお願い申し上げます。
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                                       病院玄関にて(2010.1)
(写真左から)診療技術部長 伊達、副院長 藤脇、院長 石原、看護部長 三浦、事務部長 日高
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# by ohchi-ishihara | 2010-01-22 14:57 | 院長便り

外科医師がいない!

 ここ何年かの間に、外科医をめざす若い医師が激減しているようです。また、手術を執刀している現役の外科医のなかにも、メスを捨てて内科医や開業医に転進するひとが増えているそうです。今、日本中で外科医不足が大変深刻です。本年7月には、わが公立邑智病院でも、開院以来はじめて外科の常勤医師が不在になってしまいました。院長として責任を痛感しております。この間、なんとか外科医を確保しようと、石橋町長(邑智郡公立病院組合管理者)とともに、島根大学、広島大学や県庁へ何度も陳情にいきましたが、「どこにも外科医がいない」という現実を実感しただけで、これまでのところ徒労でした。打ちひしがれていても事態は好転しませんから、引き続き医師確保に奔走します。このような事態は日本中のいたるところで噴出しているのですが、とりわけ島根県西部(石見地方)の状況は悲惨です。日原では病院が閉鎖されました。津和野の病院では外科、整形外科の医師が不在となり救急車の受入れができなくなりました(救急告示取り下げ)。大田の市立病院でも来春、外科医が不在になる事態が危惧されています。
 公立邑智病院では、外科専従医が不在となった8月から大きな外科手術はできなくなりましたが、外科外来は閉鎖せず、私院長(救急科、麻酔科)と森田医師(泌尿器科)で担当しています。時間外の外科診療も全医師が交代で対応しております。救急車の受入れも従来どおりです。先の見えない情勢のなかで、なんとか医療機能を維持しようと、現有勢力で頑張っておりますので、ご理解とご協力をよろしくお願い申し上げます。
 いずれにせよ、医師不足など、わが国に医療崩壊状態をもたらした最大の要因は、新自由主義(グローバル資本主義)を国の舵取りの根幹に据えた小泉構造改革により、医療、福祉の切捨てが推し進められたことにあることは明らかです。このことについては麻生前政権も軌道修正の方針を名言していましたし、民主党主導の新政権においても、医療や福祉を再生させる方針が示されております。現状は最低ですから、これより悪くはならないだろうと楽観するほかありません。財源をどうするのか・・など大きな不安はありますが、新政権の舵取りに注目したいと思います。

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            邑南町飛行場外離着陸場(邑智病院敷地内)開所式での一枚
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# by ohchi-ishihara | 2009-10-20 14:09 | 医療時事

萌える新緑に思う

d0132664_1433143.jpg 今年も新しい季節がめぐって来ました。この盆地を囲む山々に生き生きと新緑が萌え、張られたばかりの田んぼの水がその美しい山々の姿を映しこんでいます。何十年も都会で暮らしていたものですから、毎年毎年繰り広げられる、四季の移ろいと農耕の営みとの調和が生み出す壮大な光景に、ただ「すごいなあ」と口をあんぐりあけて見とれるばかりです。いつまでもいつまでもこうあり続けて欲しいと願う日本の原風景です。
 しかしよく見ると、耕されずに放置された田んぼも少なくありません。それに、子供の頃に比べ黄砂も多くなったように思います。現実はなかなか厳しいものがあるようです。
 私は昭和35年に、町の中心部から10Kmほど離れた日貫(ひぬい)という辺鄙な集落の小学校を卒業しましたが、当時は300人以上の在校生がおりました。同級生は62人で、2クラスに分かれていたのです。チャンバラごっこなどで山野を駆け回って遊んでいましたから、谷あいの集落には子供たちの歓声がこだまして、朝早くから日が落ちるまで、それはにぎやかなものでした。今はといえば、全校生徒数25名だそうで、この集落もひっそり閑としたものです。ヒト、モノ、カネが都会へ都会へと流れ続けて数十年、このままでは日本の田舎には本当にヒトがいなくなってしまいそうです。
 これまで、わが国はもちろん、ほとんどすべての国々において「右肩上がりの経済成長」を最大の価値とする舵取りが行われてきました。その結果、環境破壊、地球温暖化の危機がもたらされました。そして今、世界はパラダイムの大転換期にさしかかっているように思われます。国民総生産(GNP)ではなく国民総幸福量(GNH)を国政の根幹におくブータン王国が注目され、米国では温暖化防止や核軍縮を高らかに謳う大統領が誕生するなどはそのことを象徴しています。
 わが国でも、「聖域無き行財政改革」の方針が反省され、医療、福祉、教育などを聖域として建て直し、第一次産業を重視する方向へと政策転換がなされようとしています。遅きに失したきらいはあるものの、歓迎すべき流れであると思います。田舎の復権、第一次産業の再興にこそ、わが国の将来があるのではないでしょうか。
 公立邑智病院は邑智郡民の皆様とともにあります。元気な邑智郡がさらに元気であるために、そして日本中の田舎に元気がもどるその日を夢見て、職員一同頑張りたいと思います。引き続きご支援をよろしくお願いいたします。
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         田植えを終えたばかりのたんぼ(邑南町内)[撮影者:松島千晶]
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# by ohchi-ishihara | 2009-05-08 14:38 | 院長便り

新年のごあいさつ (平成21年)

d0132664_10372659.jpg あけましておめでとうございます。
 昨年を象徴する漢字は「変」でした。年度初めの好景気は秋口から急転直下、いまや地球規模の大不況です。ここ数年注目されてきた「医療崩壊の嵐」も、全分野を巻き込む大不況の前で、影が薄くなってしまいました。いやはや大変な年明けとなりました。
 さて、徒然草の第123段に「第一に食ふもの、第二に着るもの、第三に居るところ(中略)薬を加へて、四つの事、求め得ざるを貧とす。この四つのほかを求め営むを奢りとす。」というくだりがあります。兼好法師の時代(鎌倉期)から医療は衣食住とともに暮らしの根幹と考えられていたわけで、国の舵取りにおいても、そのことを忘れないでいただきたいものです。国が進める病院の統廃合、集約化などは地方切捨ての大愚策というほかありません。地域に病院は不可欠です。専門治療のために広島や東京へ行く気力、財力、時間のある方はもちろんそうされればよいのですが、「よそへは行かれん」「よそへは行きとうない」という方もたくさんいらっしゃいます。このようなニーズにできるだけお応えすることが当院の使命だと思います。
 しかしすべての領域をカバーする専門スタッフを揃えることは不可能です。そこで医師同士、職員同士が相互指導、相互支援することで、一人ひとりが専門の枠に囚われることなく、隙間を埋めあい、地域の医療ニーズの8割をカバーすることを目標に努力してきました。このことについては、地域の皆様のご理解が欠かせません。本年も引き続き、暖かいご支援をよろしくお願い申し上げます。
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# by ohchi-ishihara | 2009-01-09 10:47 | 院長便り

和顔施 わげんせ

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赤木賢二書 和顔施 平成20年新春 


 昨年(平成19年)の春、県立広島病院救命救急センター部長から公立邑智病院院長にトラバーユしました。還暦を間近にしての大きな転進でしたから、人生のリセットが必要だと思いました。33年かかって積み上げた少しばかりの「功と名」のしがらみは捨てて、真っ白な謙虚な気持ちになって郷里へ帰ろうと思いました。
 そこで、年明けから、四国八十八箇所のお遍路にいくことにしました。全行程1.200kmを一気に歩くほどの休みはとれないので、数泊ずつの区切り打ちです。
 広島発徳島行きの高速バスに乗り、一番札所(霊仙寺)近くの停留所で降りると、バスは走り去り僕はひとり残され、やおら歩き始めると、その瞬間から不思議な感覚に包まれます。歩いているのはなんの変哲も無いはずの四国の大地です。なのに、人里の路地、田んぼのあぜ道、険しい山越え、あるいは波打ち際の遍路道を、歩いては読経、歩いては読経を繰り返すうち、体験したことの無いさわやかで新鮮な心象に包まれていきます。そして、ただ夢遊病者のように、なにも考えず(あるいは晩飯のことだけを考え)ひたすら歩き、般若心経を唱え、という旅が続きます。ある解説書によれば、出張でもなく観光でもなく、巡礼者として四国に踏み込んだとき、そこは地理的空間としての「四国」ではなく、曼荼羅世界としての「お四国さん」に変わるのだそうです。
 ある2月の快晴の日、私は、23番札所から24番札所にかけての75kmにもおよぶ長い単調な海岸線を何時間もひたひたと歩いていました。いつまでたってもどこまでいっても左手は目がくらむほどの陽光あふれる太平洋、はるかかなたに霞む室戸岬は歩いても歩いても一向に近づいて来ません。
 吉田拓郎の「今日までそして明日から」を繰り返し繰り返し歌いながら歩いていると、突然、説明のつかない涙がとめどなく溢れてきました。未体験の心的ゾーンへ突入です。呆然としました。それは、14歳のころ、生まれて初めて夢精したときに感じたようなワープ感に似ていました。なにが起きたんだ?! その不思議な未体験感覚に驚いて歩みを止めました。そして左手太平洋の真上に輝く太陽に向かい、大声で般若心経を唱えました。すると太陽はお大師様の幻影に変わり、その後光の中に「和顔施」の文字がうかびあがった・・ように思いました。「人は優しくなければいけない。優しくなければ人ではない」。
 この場面はその後も何度も夢に見ました。日がたつにつれ、あるいはあれは夢だったのかとも思います。この強烈な体験から、この教え「和顔施」を座右においてこれからの残りの日々を生きていこうと思いました。邑智病院の中にもこれを掲げたいと思いました。そこで、私がその筆使いを尊敬してやまない友人(素人書家)にお願いしました。その友人が「すずりを磨ってはため息をつき、やっと筆をとって(友人談)」半年後に書き上げてくれたのがこの文頭の書です。なんとやさしく穏やかな筆致ではありませんか、言葉の持つ言霊がそのまま書相に表わされています。
 この書を当院の2つの病棟をつなぐ渡り廊下に掲げました。廊下の角を曲がるといやでもこの書に出会います。そのたびに人は、「ああ、今日こそやさしい人間でいよう」と思うにちがいありません。医療人にとってもっとも大切なことではないでしょうか。
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# by ohchi-ishihara | 2008-01-18 20:20 | 院長便り