悠山亭日記 その4(邑智病院だより51号から転載)
2024年 01月 12日
「わが心の北アルプス」の巻
人生には、北アルプスを知って終わる人生とそれを知らぬままに終わる人生とがあり、両者の間には月とすっぽん程の違いがある、と思うようになって久しい。
もう何十年も前から、年に一度、1週間ほどを北アルプスの山中で過ごすのが楽しみで、そのため日々のウオーキングを怠らず、週末には近場での山登りに励んできた。
そこへコロナのパンデミックである。昨年5月には5類感染症に格下げされたが、それまでの間、北アルプスはおろか、九州や四国の山々へ出かけることもはばかられ、三瓶ばかり登っていた。息の詰まるような3年半であった。一度きりの人生で、しかもこの年齢での3年半もの空費は残念の極みという他はない。「返してくれーっ!」と叫びたくもなる。
だが、パンデミックはこれで終わったわけではない。この度のコロナ騒動の発端はコウモリ由来だかウイルス研究所からの漏出だかは知らないが、それが全地球規模の大流行に拡大した要因は偏にグローバル化にあることは間違いない。今や、人、モノ、金、情報、そしてウイルスまでもが国境を無視して瞬時に世界中を飛び交う。この時代状況こそがパンデミックの要因なのだ。猛進を続けるグローバル化が止まらぬ限り、新たな病原体によるパンデミックは今後も繰り返されるであろう。
さて、私はほぼ毎年北アルプスを訪れていたが、コロナ禍に見舞われてからというもの遠出はままならず、ほぼ県内に引きこもって過ごした。その間に後期高齢者ともなり、加えて令和4年の夏には食道がんの手術を受けた。外科分野では最も侵襲の大きい部類の手術だから、術後は北アルプスはおろか、近場での登山も無理だろう、命が助かれば儲けもんだと覚悟を決めていた。しかし医学の進歩は大したもので、私の暗い予想とは大きく異なり、退院して1か月後にはウオーキングを再開、3km→5kmと次第に距離をのばし、半年後には10km歩行を日課にできるまでに回復した。同じく半年後から近場の登山も再開した。
そのころから「北アルプスへ行こう!」と強く誘ってくれる友人があって、コロナの5類感染症への移行を契機に、トレーニングを兼ねて三瓶全山周回、九重連山縦走などに連れだって出かけ、少しずつ自信を取り戻すことができた。従来、山へは一人で行くことが多かったのだが、病み上がりの高齢者の単独行はさすがにリスクが大きいので、登山はなかばあきらめていた。再び山へ行く気になったのはこの友人の誘いのおかげである。
令和5年9月9日、私はついに富山県折立の薬師岳登山口に立った。ここから太郎坂を5時間ほど登れば北アルプスの稜線に出るのだ。こうして5日間の山旅が始まった。
標高が上がるにつれて、健康不安など、もろもろの雑念が霧散し、次第に異次元の世界へと誘われて行く。遠離一切顛倒夢想。懐かしきかな大いなる山々、わが心の北アルプス。
天空の稜線上にどこまでも続く縦走路を、一歩一歩踏みしめながら、ゆっくりと歩いた。さほどしんどくはない。どうやら一旦は健康を取り戻せたようだという実感がじわじわと湧いてきた。そして、大いなるものへの感謝、さらには多くの人たちへの感謝が次々と思い浮かび、それらを噛みしめ噛みしめどこまでも歩いた。
9月13日、無事に奥飛騨温泉へ下山した。蒲田川沿いの露天風呂に首までどっぷりと身を沈め、「極楽極楽う・・」などとうめきながら川上方向に目をやれば、深く切れ込んだV字谷の彼方に、この私を労うかのごとく悠然と鎮座する槍ヶ岳が見えた。これには目頭が熱くなってしまった。もういい。これで・・いい。